横浜市、戸塚区────



緑の多い閑静な住宅街

その一区画にある広々とした────とは言っても神凪邸ほどではないが────屋敷。

そこでは今、風牙衆による初めての除霊が行われていた。


『流也様、目標は2階に移動しました』


「解りました。直ちに霊道を結界で遮断してください。それと私達が向かうまで悪霊の動きを監視して置くように。……詠悟、そちらの進捗状況は?」


『あ、はい。屋敷周辺の結界構築は終わりました。……それと、依頼人から伝言が』


「なんです?」


『屋敷内のインテリアに傷をつけるな…とのことです』


「………善処すると伝えてください。それと手が空いたら青夏さんと合流するように」


『了解です。』


呼霊法による通信を終えた流也は隣で手持ち無沙汰にしている和麻に声をかける。


「さて、追い込みも完了したことですし仕上げに移りましょうか?」


別に気負った様子はなく、かといって油断し、だらけているという訳でもない。

一言で言い表すなら自然体。

話しかけられた和麻のほうはやや緊張した様子で頷く。


(まあ初めての実戦であることを考えれば上出来か)


流也の見るところ、戦闘に支障が出るほどガチガチというわけでは無い。

余り酷いようなら戦闘には参加させずに置くことも考慮していた流也だが、和麻の様子を見て問題なしと判断する。

そんなことを考えている流也に、和麻が話しかける。


「倒すのはいいとして…部屋の物を傷つけないでってのは……」


「余り気にしなくても良いですよ。青夏さんが予め結界張ってますから。こちらから家具を狙いでもしない限りは大丈夫です。」


その時、屋根の上で精霊を使役して監視を行っていた術者、風能青夏から呼霊が送られてくる。


『悪霊は北端のリビングに入りました。』


「リビングですか……詠悟、2階北端のリビングに高価な家具とか置いてないか、依頼人に確認してください」


その発言に和麻は思わずつんのめる。


「な、なあ、家具にまで気を使うことないんじゃないか?」


和麻の問いかけに流也は苦笑いと共に応える。


「初仕事は完璧にしたいですから……」


そう答える流也だが内心は別の考えを抱いている。

元々、今回の仕事は兵衛が宗主に直談判して捥ぎ取ってきた依頼なのだ。

当然、神凪の多くの術者は力の弱い風牙が自分達の領分に土足で踏み入ってきたように感じ、不快感を抱いている。

何か些細なことでもミスがあれば、連中は鬼の首でも獲ったかのように騒ぎ立て、風牙から仕事を取り上げようとするだろう。

いくら親しくなったとはいっても、神凪の術者である和麻にそこまで明け透けに言うわけにもいかず、流也は言葉を濁した。




































風牙の風

第5話 1994年D




































部屋に突入した和麻たちは黒く凝った妖気が部屋の隅に集まっているのを見つける。


「あれが悪霊か…」


初の実戦である和麻にとって本物の悪霊を目にするのはこれが初めてだ。

緊張も露にそう呟く。


「和麻様、やりますよ。」


流也の言葉に和麻は頷きを返し、九字の呪を唱えつつ、足拍子を踏む。。

和麻たちに気づいたらしい悪霊は2人に襲い掛かろうとして─────────和麻の動きに怯えるかのように静止した。


「兎歩……いや反閇ですか……風牙ではあまり使う者はいないんですが……」


流也が物珍しげに和麻の足捌きを見て言う。

悪星を踏み破り、邪を払う…精霊魔術ではなく、むしろ“陰陽道”や“道”の領分に入るものだが、

気脈を操る術に長けた和麻には、あつらえ向きの術法といえる。

悪霊が動きを止めた隙に、流也は風の精霊を圧縮し、刃へと変じさせたそれを妖魔に叩きつける。

悪霊を構成する妖気は瞬時に細切れとなり、散り散りになる。



そしてその後には一際昏い妖気の塊が残る。


「あれが核か……では和麻様、止めは貴方が。」


「おお!」


構えを取ると共に丹田で気を練り、経絡へと巡らせる。

自身の間合いに踏み込むと同時に拳に集めた気を悪霊の核めがけて叩き込む。


「ハァッッ!!!」


気を巡らすのに多少時間をかけたとはいえ、威力のみで考えれば、その内頸は掛け値なしに達人級。

和麻の発頸は妖気の核に気を送り込むと同時に爆発させ、核を完全に破壊した。


「フゥゥゥゥゥゥゥゥゥ………」


落ち着いた挙措で調息────呼吸法によって気の乱れを整える。

発頸や内功を行う場合、これを怠ると身体に多大な負担が掛かる為、和麻も疎かにしない。

気の扱い方を一から和麻に教え込んだ父、厳馬からも特に厳しくそう教え込まれている。




息を整え終わったところで扉が開き、外にいた術者たちが入ってくる。

彼らの役目は屋外や屋敷内の各所に結界を張り、戦闘による被害の軽減と、悪霊の逃走の阻止を行うこと。

言ってみれば保険に近い。



「手際よく片付けたみたいですね御二人とも」


最初に入ってきた術者────長い髪を後ろで束ねている、やや大人びた印象の少女が2人に賛辞を送る。

風能青夏。

今回、流也とともに派遣された術者の一人であり、屋敷内に結界を張り巡らせることで戦闘による被害が出るのを防ぎ、

悪霊の逃げ道を断つことで和麻たちが安心して戦える状況を構築するのに一役買っている。


「いや、というか俺は殆ど弱った悪霊に止め刺しただけだし。」


今回の除霊作業において、風牙の術者は妖魔の位置を特定し、悪霊にとっての退路に成り得る霊道を結界で遮断。

戦闘に適した広さの部屋に悪霊を追い込むところまでお膳立てしたのだ。

しかも、流也という保険つきで。

これでは、失敗することなどまず考えられない。

和麻はそう思った。


「いやいや、初陣でこれだけやれれば上等ですよ。」


そう言いながら入ってきた眼鏡をかけた小柄な少年は風張詠悟。

彼は、屋敷の周囲を結界で囲うことで悪霊の逃亡を防ぎ、万一和麻たちが突破された場合は、

賀茂から供与された呪符によって悪霊を殲滅する、所謂保険の役を担っていた。


「俺らの時なんか親が仕事するのを遠くで見てただけですからね。」


風牙の術者が負っている役目は基本的に偵察である。

妖魔との遭遇戦を行う場合もあるため、戦闘訓練は当然教え込まれるのだが、

現場に出たばかりの術者が最初にやるのは遠方からの監視である。

精霊を使役して如何に多くの情報を得られるか。

情報収集機関である風牙衆の術者に一番求められる能力は知覚能力なのだ。

故に、和麻がやったように妖魔と向かい合って除霊する機会など皆無に近い。


「まあ、兎にも角にも依頼は成功です。依頼人に挨拶して帰ることにしましょう。」


そう言って流也が締めくくった。

















神凪本邸────




「ふう、どうにか成功したみたいだな。」


流也から送られてきた呼霊によって和麻達の依頼成功を知った兵衛は我知らず胸を撫で下ろした。

今回の依頼はある意味で賭けだった。

賀茂から供給される呪符もある程度揃い、術者の戦闘技術に関してもかなり向上しているので、成功の見込みは充分にあったわけだが、

仮に失敗していたら目も当てられないところだ。

風牙を除霊に出すのには分家の多くが反対しており、もしこれで結果を出せなければ、

重悟もこれ以後、風牙に依頼を受けさせることはなくなっていただろう。


(今後は練度の高い術者を順々に除霊任務に出して実戦経験を積ませていくか)


武器がいくら揃っていても使う者が実戦を知らないでは話にならない。

これからは符術や戦闘技術の習熟した者から順に現場に送っていくことになるだろう。


「身内はこれでいいとして、あとは外から雇った連中だな。」


目の前に並んだ書類を見る。


その書類にクリップで留められた写真には老若男女様々な人物が写っている。


「人手はいくらでも欲しいところだけど……あまり無節操に迎え入れるとこっちの防諜体制に穴が開く可能性が……」


仮に迎え入れた人物が何らかの組織の回し者であったりしたら目も当てられない。

神凪がどうなろうと知ったことではないが、獅子身中の虫を招きいれた咎で神凪から制裁を受けたりするのは、

兵衛としても勘弁して欲しいところだ。


「まず身元を徹底的に洗わないと……また睡眠時間が減るな……」




兵衛は溜息を吐いて立ち上がり、部屋の隅に置かれた冷蔵庫に歩みを進める。




そこには薬局で纏め買いした栄養ドリンクが入っている筈だった。







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