人気のない路地裏で2人の男が会っていた。


「それではお納めください。」


「……うむ、今後ともよしなに頼む。」


男は大神雅行から黒のアタッシュケースを受け取ると中身を確認することなく傍に停めてある車の中に放り込む。


「結城家の廉也殿には私の方から話を通しておこう。」


「ありがとうございます。」


男の申し出に雅行の表情は笑み崩れる。


「まあ、そんな事をせずとも君の家督継承はほぼ決まったようなものかもしれんが…」


「いえいえ、念には念を入れませんと」


「フム……他の家に気づかれてはおらんだろうな?」


「無論です。万一知られた場合は管財人の独断として処理できるように手筈を整えてありますので。」


自信たっぷりに言う雅行に満足したのか男は車に乗り込み、去っていった。

その光景を始終見つめる視線があったことに、雅行は最後まで気づかなかった。




































風牙の風

第6話 1994年E




































雅行達が立ち去り、路地の角を回って見えなくなったところで突如空間が歪んだ。

誰もいないはずのそこにいたのは風能青夏と風張詠悟だった。


「……撮れましたか?」


「ああ、音声の方も押さえたから証拠としては充分じゃないかな?」


どこか浮かれ気味の詠悟に、青夏は呆れたように溜息をついた。

普段自分達を見下している神凪の術者、それも分家の当主が、自分たちが間近で監視していることにも気づかずに密談していたのだ。

それも自分達が撮った写真や、録音した音声が彼を失脚させる決め手となるのだから。

詠悟にしてみれば痛快極まりない。

空気の屈折率を変えた光学迷彩。

さらに、風の結界で空気の壁を作り臭跡も断ってしまえば、警察犬だろうが猟犬だろうが彼らを見つけることは出来ない。

感知能力が低い炎術師、しかも普段から周囲の気配に気を配るということをしない神凪の術者を欺くことなど彼らからすれば朝飯前である。


「充分かどうか判断するのは頭領よ……しかしこんな探偵の真似事をする事になるなんて…」


嘆息する青夏に、詠悟は『またはじまったか』とばかりに肩を竦めて見せる。

ここ2,3ヶ月の間に風牙の組織構成は大きく様変わりした。

名門の陰陽師からの指導と強力な退魔武装の入手が可能となったことで風牙の戦力は飛躍的に強化された。

現在では分家から有力な術者を募り、その能力に応じて戦闘、偵察、諜報、警護などに特化した班を編成し状況に応じて使い分けている。

これらの各班は宗家である風巻家の管理下に置かれており、風巻家の権能が飛躍的に強化されることとなった。

これらの班のうち諜報班だけは存在を秘匿されており、流也を長とするその班の役目は、風牙に敵対する可能性のある勢力の監視であった。その中には風牙の主 である神凪一族も含まれている。

詠悟と青夏は、表向き戦闘班所属ということになっているが、同時に諜報班にも籍を置いていた。


「頭領の方針に不満でもあるのかい?」


「そういうわけではないけど……こんなの退魔士のやることじゃないわ」


兵衛が推し進めてきた風牙の組織改編、さらには人材、技術の交流によって風牙の戦力は格段に強化された。

以前から悩まされていた人材不足も外部からフリーランスの退魔士を雇い入れることで解消し、風牙の術者の負担は大幅に緩和された。

必然、これらの施策を推し進めてきた兵衛の声望は上がったが、同時に、余りにも急激な組織の変革に不安を覚えるものも少なくない。

青夏の感想もそのような者達の抱いている感情の一面を顕していると言えるだろう。

彼女からすれば、退魔士とは魔を討ち、邪を払うものであってこんな仕事はお門違いといいたいのだろう。


「まあ、うちみたいな弱小組織はこうでもしなきゃやってけないんだよ。

 実際、こういう『副業』はじめてからは退魔のほうも大分楽になったでしょ?」


「まあ…ね…」


こういった諜報活動によって得られた情報のうちいくつかは賀茂に齎され、賀茂からは護符を始めとした退魔武装が風牙に齎される。

そのお陰もあってか近頃の任務では術者が負傷する割合がグンと減り、外部からの人材獲得とも相まって、

風牙の術者たちは余裕を持って訓練や任務に取り組めるようになったのだ。


(こういう細かいことに不満を覚えるのも、余裕が出てきた証拠かしらね…)


そんな考えが頭に浮かび、青夏は微かに笑みを零した。








    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆








神凪本邸・兵衛居室



風牙衆の住居となっている離れに神凪の術者が来ることなど半年前までなら考えられないことであった。

ひょんなことから和麻や操が入り浸るようになり

最近では風牙の者達も炎術師と風術師が談笑するという、それまでの彼らの常識からすれば異様な光景にも慣れてきたようだ。

しかし今回離れを訪れた客には彼らも驚きを隠せないようであった。


「……良くここまで調べられたな、まあ、情報集めが貴様らの仕事なのだから当然かもしれんが……」


兵衛から渡された書類に目を通しながら久我家当主・久我従道は興奮を隠しきれぬ様子で言った。

従道が持っている書類には大神家からの資金の流れが事細かに記されており、

そこには大神雅行が樋上家の術者を買収している光景が写真に撮られて添付されている。


「雅行様はどうやら大神家付きの管財人を買収していたようですな。美術品に関してはいくつかの書類は名義が書き換えられておりました。……当然、これは偽 造ということになりますが……」


兵衛は雅行の行状をつらつらと挙げていく。

従道は、態々下賎な風術師のもとまで足を運ばねばならないということで当初は不機嫌な様子だったが、

雅行にとって致命傷となりうるスキャンダルを握ったことで今は上機嫌である。


「くくっ、貴様には借りが出来たな。返礼をせねばなるまい。」


普段であれば風牙に何かしてやろうなど考えも付かないところだが、

雅行の工作によって一族内で孤立感を深めていたところへ突如救いの手が差し伸べられたわけだから気前も良くなるというものだ。


「いえいえ、お役に立てたなら幸いです。…管財人は証人としてこちらで確保しておく必要がありますな。」


「確かに手札は多いに越したことは無い。ともあれ良くやってくれた。」


従道として笑いが止まらないだろう。

後一歩で負けという所で逆転の目が巡ってきたのだから……

暢気に浮かれている従道に兵衛は内心辟易するものの表情には決して出さない。


(なんとも扱いやすい御仁だ……まあ、そのほうが都合は良いが…)


従道は神凪のご多分に漏れず風術蔑視の考えを持ってはいるものの、それなりに目先が利く。

こちらから有益な情報を提示してやれば、それを理解して活用するくらいの頭は持っている。

それに久我家の術者は大神ほどではないが粒が揃っており、味方につけておけば何かと役に立つ。


「引き続き調査を進めておきます。何か情報が入りましたら追って連絡いたします。」


「うむ。頼んだぞ」


「それと、我々が行った調査に関してはくれぐれも……」


「解っておる。全てわしの胸ひとつに収めておこう。」


(これで久我に関しては当面問題ないか)


兵衛は内心で神凪分家の実力者と顔繋ぎが出来たことに満足していた。






従道が上機嫌で帰った後、入れ違いに2人の人物が入ってきた。

息子の流也と分家当主の一人である風能八衛である。


「その様子では上手くいったようですね。」


兵衛の顔を見た流也が何やら苦笑を漏らす。


「……まあな」


顔に出ていたか…と、内心で眉を顰める。


「それで何か用か?」


流也と八衛は互いに視線を交すとまず流也が口を開く。


「ではまず私から。以前父上が探しておられた退魔者ですが、先日接触を持つことに成功しました。」


そう言って流也は写真の添付された書類を渡す。


「……!これは」


書類に書かれている名前を見た兵衛は思わず眼を見開いた。


「中級、下級の妖魔を中心にかなりの戦歴です。今現在、風牙に存在するどの術者よりも戦闘に関しては上でしょうね。」


「……この者の詳しい経歴などは?」


「不明です。余り露骨に調べては先方から警戒される恐れもありましたので。ご命令とあらばすぐにでも調べますが?」


「いや。それには及ばん。お前の判断が正しい。」


そう言って兵衛は再び書類に目を通す。

暫くの間、何か考え込むようにクリップ止めされた書類を見つめていたが、やがて顔を上げ、流也に向き直った。


「あいわかった。引き続き、こちらに引き入れるための条件調整に当たれ。その者との交渉は……鷲山常邦に任せよう。

 奴なら交渉経験も豊富だ。……それと折角だ、お前も勉強のために交渉に同席すると良い。

 風牙の跡目として、こういう経験は早いうちに積んでおくのが良いからな」


「……良いのですか?」


「ああ。ただし、鷲山の邪魔はするなよ……まあ、お前のことだし心配はいらんだろうが。」


「わかりました。では、常邦殿には私から伝えておきます。」


「うむ。」


退室していく流也を見送り、続いて八衛の報告を聞く。

青夏の父である八衛には、賀茂との折衝を任せている。

報告も賀茂関係だろう。


「何か問題でも起きたか?」


「は。実は賀茂から術者を一名預けたいとの打診がありまして。」


「術者?」


「表向きには他系統の術への見識を深めたいということなのですが……」


「監視か?……余程風牙が信用できんと見える。」


苦々しげに吐き捨てる兵衛。

だが、賀茂の懸念はある意味当然のことだ。

風牙は主である神凪には内密に戦力を強化している。

賀茂から見れば、風牙が神凪に対して反乱を目論んでいるように見えるのだろう。

仮に反乱が起これば、風牙に戦闘用の呪符を与えている賀茂は神凪から共犯と見做される。

風牙の情報収集能力は確かに魅力的ではあるが、さすがに神凪に喧嘩を売ってまで必要としているわけでは無い。

賀茂が風牙に求めている役割はあくまで情報屋、それ以上でもそれ以下でもないのだから。

さしずめ今回のあからさまな術者派遣は『余計な面倒は起こすな』という賀茂からの警告といったところか。


「それで、こちらに来る術者というのは?」


「宗家嫡男の賀茂是雄殿が来られるとか……」


「よりにもよって次期宗主か……ますます無碍には扱えんな……」


兵衛は溜息をつく。

現在の賀茂との関係を考えると無碍に断るわけにもいかない。


「お受けすると伝えてくれ。」


「宜しいので?」


「断って臍を曲げられては敵わん。」


そう言って人の悪い笑みを浮かべる。


「……まあ、宗家の嫡男なら実力も相当なものだろう。一流の陰陽師から学ぶ良い機会とでも思えば腹も立たんさ。」




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