「大神雅行、貴様の家督継承権を剥奪する。」


宗主の口から出た宣告に、一瞬、雅行は自分が何を言われたのか理解できないかのように呆けたような表情で固まった。

雅行の隣では、彼の弟の雅人が、やはり驚愕の表情で固まっている。

大広間。

神凪本邸の母屋の中でも奥まった位置にあり、宴会や親族会議などで利用される部屋である。

現在、この広間には一族の宗主、神凪重悟を筆頭に神凪頼道、神凪厳馬といった宗家の有力者。各分家の当主が顔を揃えている。

なお、彼らの末席には風牙衆頭領である風巻兵衛も顔を見せている。

兵衛からの情報で雅行の不正を掴んだ従道は、まず、宗主ではなく神凪厳馬にこれを伝えた。

この判断には、この機会を利用して己の政敵とも言える大神雅行の発言力を徹底的に奪い、

再起不能にしておきたいという考えが働いている。

現宗主である神凪重悟は基本的に一族内に余計な波風を立てない安定した組織運営を旨としている。

宗主に直接不正を知らせた場合、当然雅行は家督継承権を剥奪されるだろうが、

それ以外の具体的な処分は有耶無耶のまま終わってしまうか、あるいは内々に処理されてしまう公算が大きい。

重悟は術者としては天才的であったが、その組織運営は自身のカリスマに依存しているところが大きく、それほど巧みではなかった。

雅行を失脚させる方法としてうってつけなのが親族会議で雅行を吊るし上げることだが、親族会議を開催する権限は宗主にしかない。

そこで従道は雅行を嫌っており、尚且つ宗主を押し切ることが出来る人物として厳馬に白羽の矢を立てた。

元々厳馬は力ある術者こそが神凪を指導すべきという考えを持っており、

実力は無いくせに他の分家当主に取り入って家督を得ようとする雅行を嫌悪していた。

宗家とはいえ一介の術者に過ぎない厳馬だが、神凪の歴史上数少ない『神炎使い』として一族内に無視できない影響力を持っており、

彼の従弟にあたる宗主重悟も、その意見を無視することは出来ない。

政治力と暴力に物を言わせて身内の犯罪をもみ消すことが多い神凪だが、これが身内同士の争いとなると話は違ってくる。

家督継承を間近に控えたこの時期、どんな些細な失点も致命的である。

顔から血の気が引き、紙のように白くなっている雅行を眺め、兵衛は内心ほくそえんでいた。




































風牙の風

第7話 1994年F




































(糞ッ!糞ッ!糞ッ!糞ッ!!!一体…どういう事だ!!!)


額を一筋の汗がつたり落ちる。

心当たり?そんなもの山ほどある。

四条、樋上への買収工作。大神の資産の着服。だが、ばれるようなへまをやった覚えはない。

久我の連中には探偵を雇って始終張りつけておいた。報告では妙な動きはなかった。

結城が漏らした?いや、連中も金を受け取っている以上、事が露見すれば責任を追及される。

では一体……


「…………………理由を、御聞きしても宜しゅうございますか。」


内心の動揺を悟られぬよう苦労しつつも、どうにか平静な口調で聞き返す。

重悟はそれに答えず、ちらりと厳馬に視線を送る。

厳馬は心得たように頷き、一枚の茶封筒を雅行の前に放る。

かすかに震える手で封を開け、その中のものを見て雅行は呻いた。


「ば……」


馬鹿な!

危うくそんな言葉が口を突いて出るところだった。

封筒の中には雅行が管財人に改竄を指示した書類や遺品の目録。

ここ一ヶ月の大神家の口座からの資金の流れが記録された書類が封入されており、中でも極め付けなのは管財人自身の自供と、

雅行が分家の人間に取引を持ちかけているシーンが写真とテープレコーダーで記録されていたことだ。

写真はいずれも間近から撮られたものであり、

しかも音声まで記録されているということは自分が取引しているすぐ近くに人間が伏せていたことになる。

これでは自分は道化以外の何者でもない。

こちらの動きは全て筒抜けだったのだ。

憎悪を込めて従道を睨みつける。


「大神雅行」


「は…」


そこで今まで沈黙を保っていた厳馬から声がかかり、雅行は居住まいを正す。

厳馬は雅行に汚物でも見るような目を向け、一言言った。


「宗主に、何か申し開きはあるか?」


「…わ……私は………」


口をパクパク動かし、言うべき言葉を必死になって捜すが何も思いつかない。

ここまで徹底的に暴かれている以上今何を言っても恥の上塗りにしかならないだろう。

完全に、久我の掌で踊っていたというわけだ。

ここまで証拠を揃えながら、わざわざ親族会議を開いた理由の予想はつく。

おおかた自分を当主達の前で吊るし上げることで今後の発言力を徹底的に奪っておくつもりなのだろう。

加えて自分が失脚すれば、自分を大神の当主として推していた四条、樋上の発言力も低下し、久我の相対的な地位は高まる。


(従道め……覚えておれよ…)


雅行が力なく肩を落とすのを見て、重悟は脇に控えていた術者に雅行を退室させるよう命じる。

術者は雅行の両脇に付いて、部屋を退出していった。


「大神雅人。」


「…は……はっ…」


兄が連行されていくのを呆然と眺めていた雅人は宗主の声に我に帰った。

予想外の事態が立て続けに起きたことで未だに混乱から立ち直れていないようだ。


「雅行がああなってしまった以上、大神の次期当主はお前ということになる。…よいな?」


「は……し、しかし…」


「よいな?」


「しょ…承知いたしました。」


元々、継承権争いに関心の薄かった雅人は突然当主の座が転がり込んできたことに困惑するが、

宗主から語気を強めて念を押され、あわてて首肯する。

そんな様子を眺めつつ、兵衛は考えた。


(やっぱり、腕っ節が強い奴が当主ってのは問題だよな〜)


歴代最強の術者として勇名を轟かす宗主、重悟にしてからが優柔不断なところがあり、

厳馬に押し切られたり、分家の暴走を許すなどしている。

本来神凪の宗主には絶大な権限があるはずなのだが。

重悟にしてみれば、みだりに己の力や権力を乱用することを自制しているのかもしれない。

それは退魔士として見るならば美徳と言っていいだろう。

だが、指導者としてはどうだろうか?

重悟の退魔士としての自制心や見識。情に厚いところは確かに美点だが、

反面、信賞必罰を怠り、風牙の酷使や和麻の虐待に胸を痛めながらもそれを行った者たちを断罪することができていない。

結局のところ、重悟は良き退魔士足り得ても、良き宗主足り得ないのではないだろうか?








    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆








「……ふう。休む暇もないな。」


自身の居室に戻った兵衛は座布団に腰を落ち着けると大きく息をついた。

実用本位の簡素な机に堆く積まれた書類の山脈に思わず現実逃避したくなる。

誰かに押し付けたいところだが、生憎と書類整理を押し付けられるほど暇な人間など風牙にはいない。


(秘書でも欲しいところだけど……そんなもん雇う金は無いし……)


以前と比べれば余裕の出てきた感のある風牙衆だが兵衛に限って言えば仕事量はむしろ増えている。


(俺も楽がしたいよ……)


背中に哀愁を漂わせつつ、兵衛は書類を捌き始める。

と、その時。


「父上、少々お時間をいただいても宜しいでしょうか?」


部屋の外から襖越しに流也の声がかかる。


「構わん。入れ。」


襖が開き流也と一人の少女が入ってくる。


「ん?…葉月か、珍しいな」


「あ、いえ、……突然お邪魔をして申し訳ありません父様。」


「それは別に構わないが……」


申し訳なさそうに顔を伏せた葉月に困惑したような視線を向ける。



風巻葉月。


流也の妹であり、まだ12歳ということもあって退魔の現場に出ることはないが、精霊への感応力は潜在的には兵衛を凌駕しており、

将来的には第一線での活躍を嘱望されている術者である。


「お前、学校はどうしたんだ?」


「ああ、それなら…」


流也が口を挟む。


「学校が夏休みに入ったんです。それで休み中の訓練のことでご相談に…」


「ああ、もうそんな季節か……」


考えてみれば兵衛になってから既に半年近く経過している。

流也は中学を卒業し、通信制の高校に入った。

葉月も小学6年、早いもんだ。あんな小さかった子が、思えば色々あったよなぁ………って何考えてんだ俺!

まだ(精神は)22歳だろうが!

どうも最近、兵衛の記憶と村野正也としての記憶の境が曖昧になってきてる気がする。

まさかとは思うけど、そのうち兵衛に取り込まれたりしないよな?

……自分で言ってて不安になってきたぞ。

一人で懊悩し、なにやらブツブツ言っている兵衛を葉月が心配そうに見つめる。


「あ、あの、父様大丈夫なんでしょうか?」


「ああ、父上の独語癖は今に始まったことじゃないからね。そのうち自己完結して帰ってくるさ。」


悟ったようなアルカイックスマイル(菩薩の笑み)を浮かべ、流也は頷いた。





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