「……ふん…雅行め、あれだけ啖呵を切っておきながら不甲斐ない」
親族『会議』とは名ばかりの、『大神雅行つるし上げ』から自身の居室に戻った神凪頼道は、忌々しげに吐き捨てた。
もし雅行が大神の当主になっていれば、彼を影ながら支持していた頼道は一族内での発言力を増大させることができたのだから、
苛立つのも無理からぬことだった。
不機嫌そうに唸り声を上げつつ、今後の展開について考える。
雅行が消え、四条の影響力も低下。
樋上は……まああそこの場合、今回の収賄騒ぎは当主の息子が勝手にやったことなので、それほど傷は深くない。
当主自身が宗主に先んじて息子に謹慎を申し付け、受け取った金を大神に返却することで、
宗家や、他の分家に対する面目はどうにか保たれたようだ。
聞くところによれば、収賄の一件は樋上家当主の樋上修輔翁にも初耳だったらしい。
大神の収賄騒ぎに、こともあろうに次期当主である息子が一枚かんでいたことを知った修輔は烈火のごとく怒り狂い、
金を受け取っていた息子の啓輔については、勘当の話さえ持ち上がっているらしい。
大神は継承権争いのゴタゴタが影響して混乱している……無理もないが。
そして久我。
やはり今後、分家内で発言力を増すのはこの家だろう。
「それにしても久我め…現場で戦うしか能の無いぼんくらかと思っていたが、存外頭が回ることよ…」
久我従道という人物を計り損ねていたことを、今更ながら頼道は悔いた。
従道は久我家の長男として生まれ、また、炎術の才も兄弟より頭一つ分抜きん出ていたことから、
万人の支持のもと、久我の当主になりおおせた人物である。
事実、退魔師としての戦闘技能で言えば相当な実力者なのだが、論理的な思考は得意でなく、
組織経営者としては些か難しい人物であった。
早い話。今回のような謀略を考え付くほどの頭は無いだろうと、頼道はタカをくくっていたのだが、見事に予想は裏切られてしまった。
苦い悔恨の思いと共に舌打ちを漏らす。
その時、部屋の襖を叩く音がした。
コンコン……
「先代、今よろしいでしょうか?」
聞こえてきた声に、頼道は眉根を寄せる。
そろそろ来る頃だとは思っていたが…
(……ふん、早速泣きついてきおったわ。)
「岳彦か。入れ」
不機嫌そうな────というか、事実不機嫌な声で入室を促す。
「失礼致します。」
襖が開き、和服を着た壮年の男が入ってきた。
四条岳彦。
神凪の分家の一つである、四条家の当主である。
風牙の風
第8話 1994年G
ゆったりとした動きで襖を閉め、四条岳彦は頼道に丁寧な一礼をした。
ピンと背筋を伸ばし、身を包む和服の上からでも窺えるほどの筋骨隆々。
実年齢は50代の後半だが、見た目には10年サバを読んでも通りそうな、精気と逞しさを兼ね備えた偉丈夫である。
頼道は顎をしゃくり、岳彦に座るよう勧めた。
岳彦は一礼をもって応え、頼道の正面に腰を降ろす。
「先代……話が違いますぞ。」
最初に口を開いたのは岳彦だった。
厳つい無表情で、頼道の眼を見据えて話し始める。
堂々たる迫力があるが、重梧や厳馬のそれを見慣れた頼道は屁とも思わない。
「雅行の家督継承は疑いない。そう仰ったのは貴方だ……だからこそ、厳馬様の御不興を被ること覚悟の上で奴を推したというのに」
「フン、藪から棒になんじゃ。大神の一件か?……この程度の些事にうろたえおってからに」
「この程度、ですと?樋上での騒ぎをご存知か?我が家は勿論のこと、貴方とてこの件には一枚噛んでいるのですぞ!」
むっつりとした面持ちで頼道に言い募る岳彦。
巌のような顔は相変わらずの無表情だが、微かにこめかみが引き攣っているのが頼道には見えた。
内心では、ポーカーフェイスひとつ出来ないこの男に、蔑みの感情を向けている。
「何を心配しておる。大神の資産流用は雅行が勝手にやったこと。我らの預かり知らぬ事ではないか。」
……よくもまあ抜け抜けと。
何でもないことのように嘯く頼道に、岳彦は内心で呆れ返っていた。
雅行をそれとなく煽って贈賄に走らせたのが、目の前に座する老人であることを岳彦は知っていた。
自分も雅行から何かしら受け取っているのだろうに……頼道は全ての責任を雅行一人に押しつけ、切り捨てる心算なのだろう。
「今回の一件で我らに累が及ぶことは無い。樋上?あやつはわしの忠告を無視して金を受け取ったからああなった。
貴様、よもやと思うが金を受け取ったわけでは…」
「受け取っておりませんとも。しかし、美術品や宝石の類は……」
「ならば良かろう。雅行は貴様のために絵画を、貴様の娘のために宝石を送った。理由は……記念日でも何でもでっち上げればよい。
貴様は後になってソレが資産流用によって不正に流された物と知り、大神家に返却した。それで充分ではないか。
赤の他人なら兎も角、親族同士での贈答だ。証拠になり得る書類などが残っていなければ、いくらでも誤魔化しは効く」
「し、しかしですな。厳馬様や宗主の心証は…」
「そんなもの、雅行を当主に推した時点で悪化しておるに決まっていよう」
「な……」
身も蓋も無い言い方に岳彦は絶句するが、頼道は気にした風も無い。
彼からすれば、雅行を当主に就けられなかった以上、四条と連携する理由は既に存在しないのだ。
岳彦が宗主に睨まれようが、厳馬から睨まれようが知ったことではない。
もともと、傲岸不遜で人を人とも思わない性格から、一族の者たちから嫌われていることは頼道自身も薄々理解している。
今更、面倒見の良い仁君になろうなどとは思っていない。
「それより、こんな所で油を売っている暇などあるのか?早く重梧の奴に、申し開きなり何なりしたほうが貴様の身の為ではないか?」
「く……」
怒りと屈辱に表情を歪め、それでも、退室する際の礼は忘れず、岳彦は部屋を後にした。
彼が去っていくのを見送り、頼道は改めて久我のことを考え始めた。
(ふむ、こうなった以上。久我とも繋がりを持ったほうが良いが……はてさて、どうしたものか)
久我が実質的に分家筆頭に躍り出た以上、自分も久我となんらかのパイプを持っておくことが必要だと頼道は考え始めていた。
既に宗主を退いた頼道が、一族の政に首を突っ込むには長老なり分家当主なりに、ある程度の影響力を維持しておかないと話にならない。
息子の重梧と比べて自分の人望など無いに等しい(むしろマイナスかもしれない)のだから。
ここまで頼道の人望が無いのは、その人柄もさることながら、
宗主となるまでの過程が、あまりにも不穏当なものであったことがあげられる。
頼道は炎術師としての才能が他の者達より劣っていた。
無論、和麻のように炎術そのものが使えなかったわけではない。
神凪宗家の力の象徴たる『黄金』の炎を操ることは出来たし、退魔師としても、中級妖魔程度なら十分滅するだけの実力を有していた。
しかし、頼道の実力は宗主となれる程のものではなかった。
彼より高い実力を持った術者は、宗家には幾人も存在したし、頼道が宗主の座に就くなど、当時誰一人予想し得なかった。
宗主を継ぐことが出来るのは一族最強の術者。
分家の家督継承などとは訳が違う。
後継者候補同士を戦わせる『継承の儀』は、弱者を容赦なく振るい落とし、
結果、残った最も強い術者こそが、一族を背負って立つ者として宗主となるのだ。
だが頼道は、宗主となるためにライバルと正面からぶつかり合うのを良しとしなかった。
彼は長老に取り入り、時には弱みを握って脅し、自分の政敵を謀殺同然に死地に追いやり、時には無実の罪を着せて一族から放逐した。
自分の兄弟さえ例外ではなかった。
ライバルを次々に蹴落としていき、仕舞いには『継承の儀』当日に、彼と宗主の座を争うべき人物が突然、著しく体調を崩すに至っては、
一族の誰もが、「頼道が一服盛ったのでは?」と勘繰ったものだ。
結局その証拠は見つからず、儀は強行され、頼道は宗主の座を射止めた。
当然というべきか、彼に向けられた感情は尊敬や祝福とはかけ離れたものだった。
しかし、そんな周りの反応にも、頼道は動じなかった。
頼道にしてみれば、自分が弄した小細工などに引っかかり、脱落していった愚か者共に宗主たる資格があるとは思わなかった。
一族の頭首に必要なのは戦闘力や腕っ節ではない。
政治的なバランス感覚と実務能力。そして、退魔方の海千山千の古狸たちと渡り合えるだけの権謀術数。
それこそが宗主たる資質だと、頼道は考えていた。
そして、頼道の考えを裏付けるかのように、彼が宗主の地位にあった30年間、神凪は表社会で、裏社会で政治的な勢力を伸ばし続けた。
神凪は複数の旧財閥系大手企業の筆頭株主でもあったので、そこを通じて政治家へ多額の献金を行い、
さらには資金力に物を言わせて押さえた大手ゼネコンを通じて政府官僚の天下り先を作ることによって、
日本政府との繋がりをますます強くしてきた。
陰陽寮の解体によって、他の退魔勢力が政府との繋がりを喪っていく中で、神凪だけは政界への影響力を強化し続けたのだ。
まさに政治的動物、神凪頼道の面目躍如といえるだろう。
無論良い事ばかりあったわけではない。
頼道は、自身の権力を強化するために、自分に対して批判的な術者を様々な手段で陥れ、謀殺したため、
退魔師としての神凪の実力は低下の一途を辿った。
また、他の退魔勢力に対しても様々な裏工作を行い足を引っ張ったため、日本の退魔勢力は大混乱に陥り、
結果。多数の妖魔、悪霊の跳梁を許す羽目になった。
頼道は、神凪一族の権力を強化した代わりに、日本の退魔全体を弱体化させてしまったといえる。
風牙衆も、その混乱の中で多数の術者を失い弱体化しており、兵衛が重梧から資金提供を受けて再建に乗り出すまで、
風牙の術者の消耗は加速するばかりだったのだ。
なまじ頭が切れるだけに、兵衛としては実にやりにくい相手といえるだろう。