1997年12月


大神家のお家騒動が一応の決着を見、風牙衆と久我家が微妙に接近。

雅行との黒い繋がりがバレた四条家は勢いを削がれ、樋上は身内を切り捨てることで保身を図っている状態。

依然として風術師に対する風当たりは強いが、独自に依頼を請け負うことによって、風牙は僅かながらも自前の財源を確保しつつあった。

とはいえ、風牙が余りにも独自性を発揮するようになれば、神凪が警戒する。

この場合、皮肉なことに『大神家お家騒動』の混乱が風牙の活動を目立たなくしていた。

そこに、宗主・重梧や久我従道の援護射撃が加わって、時勢が風牙に味方していく。

だが……


「収入…人手…順調に増えてるはずなんだが」


「一向に楽になった気がしませんね」


「…………」


「…………」


「「はぁ〜」」


溜息をつく風巻親子。

現実は厳しい。元の条件が悪すぎたといってしまえば『それまで』なのだが。相変わらず風牙の台所事情は苦しかった。

収入は増えているが、同時に外部から招聘した周防らへの人件費も馬鹿にならない。

一流退魔師とは、かくも金を喰うものかと慨嘆してしまう兵衛。

しかし、放出される金銭以上の成果を叩きだしていることには疑問の余地がない。

“敵を倒す”ことよりも、まず“生き残る”ことを最優先とする従来の方針はそのままに。

気功武術を取り入れ、風術と組み合わせることによる高度な戦闘訓練によって生存率を高めようとしていた。


『長期的には必ず利益になる』


そう思うからこそ分家当主連も兵衛の方針には従っている。

もし躓いたりすれば、どうなるか?考えるだに恐ろしいが、今となっては立ち止まることは許されない。

神凪が混乱し、風牙衆全体が前を向いている今、今が風牙を変えていく一番のタイミングなのだから。




































風牙の風

第10話 1994年I




































風牙の邸内に設えられた兵衛用の居室。

兵衛・流也の親子は例によって書類と格闘していた。

一心不乱にペンを走らせる兵衛の脇には“24時間闘えますか”のキャッチコピーが目を惹く栄養ドリンクの空瓶が数本置かれていたり。

この光景は、今では風牙の日常と化した感がある。

その時。


コンコン……


「父様。入ってもよろしいでしょうか」


「ああ、構わん。入れ」


襖が開き、盆を両手で持った葉月が入ってきた。

盆の上には急須と湯呑み。それと羊羹。

兵衛と流也の前に皿と湯呑みが置かれていく。

皿にのった黒い直方体の中には、不揃いな大きさの栗が見え、これが既製品でなく手作りであることを教えていた。


「栗の御裾分けを頂いたので…入れてみたんです。口に合うかどうか」


「へぇ。そりゃまた贅沢だね」


言いつつ、切り分けられた羊羹の一切れを楊枝で刺して口に運ぶ流也。


「うん…これはイケるよ」


「確かに。客に出しても恥ずかしくない出来だな」


うんうんと頷く兵衛。

冗談ではなく、以前に久我の術者が邸に来た際、葉月の手製菓子を振舞っている。

手料理というのは渉外でも役に立つものだ。

ギスギスとした話し合いの最中に出されたりすると、場も和む。


「あの……あまり根を詰めすぎない方が」


どこか遠慮がちに葉月は二人を気遣う。

口調、表情こそ明るいが、兵衛と流也の目尻には隈が浮かび、傍目にも疲労していることが見て取れた。

……睡眠不足でナチュラルハイになっているともいう。

確かに。無理が祟って体を壊すようなことになっては元も子もないのだが。


「後一山終わったら、そうするか」


「ですね」


広辞苑並みの分厚い書類の束を横目に呟く兵衛。

些かウンザリ気味の流也も仕方がないかというように頷いた。

明らかなオーバーワーク。少し前にやってきた従道からさえ『少し休んでは』と言われる始末だ。

神凪の人間に気を使われるほど酷い顔をしていたのだろうか?

自分が倒れてしまった場合、医療費のことを考えると、『休みはしっかりとった方がいいかも』、と思ったりもする。


「父上。僕は大丈夫ですから休んでてください」


「……いいのか?」


「死相が浮かんでますよ」


「…………(汗)」


素直に冗談と受け止めるべきか、兵衛はかなり悩んだとか。





    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆





神凪綾乃 9歳。

神凪煉  5歳。


庭の拓けた場所で、神凪の術者が十数人、鍛錬を行っていた。

その中で、ひときわ目立っている集団がある。

集団の中心では、一人の少女が眉間に皺を寄せて小さく唸っていた。

暫くすると少女の前方に小さな黄金色の火球が出現し、次第にそれは大きくなっていく。

やがてサッカーボール大にまで膨れ上がったところで、


「……ハッ!!」


気合の篭った、まだ幼さの残る声を合図に弾け飛んだ。

周囲から拍手が、賛辞が沸き起こる。


「素晴らしい」


「安定した火力。熱を外部に漏らさぬ制御力。流石は重梧様の…」


「宗家の世継も、これで安泰ですかな?」


術の成功を無邪気に喜んでいる少女…綾乃を、取り巻きの術者たちは口々に誉めそやす。


「まったく、“あの”出来損ないとは雲泥の差だ。」


そのうち一人の術者が、庭の隅で拳法の型稽古を黙々とこなしている少年を見やり、鼻を鳴らして言う。


「おい君!和麻なぞと比較しては綾乃様に失礼ではないか!」


「…失礼を」


「しかし、厳馬様はあれ程の使い手であられるというのに……なぜ和麻は?」


「フン、大方、母の腹の中に才覚を置き忘れてきたのであろうよ」


「その分、煉様には期待が持てそうだがな?」


「あはははは。違いない」


楽しげに、少年の努力を嘲る大人たち。

明らかに少年に、和麻に聞こえるように話している。

しばらくすると、和麻の傍にいた操が大人たちがいる方につかつかと歩いていき、食ってかかる。

それから剣呑なやり取りがあって、さも渋々といったふうに大人たちは立ち去っていく。

炎術以外にも和麻の美点はある。なぜそこを見てやらないのか?

大の大人が、よってたかって子供を苛めて楽しいか?

これが同年代の子供なら、『なにを生意気な』と逆上したかもしれない。

だが、相手は大人。

いくら操の言う事が気に入らなくとも、それが正論であることには疑う余地もなく、やり込めようとすれば逆に自分の品性が疑われかねない。

彼女も和麻と、風牙と付き合うようになって図太くなったのだろうか。






    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆






「和麻さま…」


「気にするな操。本当のことだ」


気遣わしげな操に、自虐的な笑みを返す。

和麻の心境は複雑だった。

操ことは親友だと思っているが、年下の少女に守られているという現状は和麻にとって全く納得のいかないものだ。


「炎が使えないのなら………他で巻き返せばいい」


自分に言い聞かせるように、和麻は呟いた。

父の言うように鍛錬を重ねても、いっこうに発現しない炎。

いくら自分が身体を鍛えても、炎術という絶対的なアドバンテージによって軽々と和麻の上を行く分家の子供達。

挙句。自分より年下の、身体の弱い少女に守られているという情けない現状。

それらによって追い詰められた少年の、苦し紛れの一言だった。

だが、傍らでそれを聞いていた操には、それが和麻の強さと映った。


(和麻さま……)


操は何も言わず、和麻にタオルを差し出した。

最初に和麻を助けたのは、ただの同情心だった。

小さな子供が捨て猫を拾ってくるような―――一時の感情に流されての行動だった。

一人の哀れな少年にちょっと助け舟を出してやろうか、その程度の気持ちだった。

だが、それは和麻が風牙衆の鍛錬に参加するようになり、自分が興味本位にそれを見物するようになってから微妙に変わりはじめた。

体を苛め抜き、周囲から(時には風牙衆からも)向けられる負の感情をものともせず、信じ難いスピードで術法を、体術を習得していく和麻。

肉親に見捨てられ、一族中から蔑まれ、それでもなお高みを目指そうとする揺ぎ無い姿勢は、操に衝撃を与えた。

和麻にしてみれば、やり場のない鬱屈や、負の感情の捌け口を鍛錬の中に見出していたに過ぎないのだが、

操にはそんな和麻の姿がとても気高く、美しいものに見えたのだ。

互いの感情のすれ違い。

だが、それは良性の結果をもたらした。

和麻は操が自分を庇うために大人たちと渡り合うのを見て、自身を不甲斐なく思い、それまで以上に鍛錬に打ち込むようになった。

逆に操は、和麻が鬼気迫る勢いで猛訓練を重ねていくのを見て、『私が和麻さまを助けねば』という気持ちをさらに強めていったのだ。

勘違いもここまで来ると清々しいが。結果がよければすべて良し、といったところだろうか。





    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆





一方で、操と大人たちのやり取りを眺める人物がもう一人いた。

誰あろう、神凪一族の幼き姫君。神凪綾乃嬢である。

小さな少女―――といっても綾乃よりずっと年上だが―――が大人たちを激烈な調子でやり込めてしまったのだ。


「おじさま。あのひとって」


目を瞬かせて脇に立つ大人の袖を引っ張る。


「ああ、あれは大神家の操です。綾乃様より4つほど年上ですね」


「操さんっていうんだ………ねぇ、どうして大人のひとが怒られてたの?」


「!?は…はあ。そ、れは…ですな」


問われた四条家の術者は口篭る。

“炎術が使えない和麻を馬鹿にしていて窘められた”などとは間違っても言えない。

この素直な姫君が、あとで宗主にこの事を話でもしたらエライことになる。

現場に居て何もしなかった自分が叱責されるのは当然として。先ほど操にやり込められた者の中には四条の術者も混じっており、

下手なことを言っては、後で自分が当主の岳彦からネチネチと何やかや言われることになる。

どう誤魔化したものか、と頭を悩ませている男を捨て置いて、綾乃は和麻のもとに駆け寄っていく操を興味深々に見つめていた。




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