広々とした純和風の邸。
縁側に腰掛けて茶を啜る老人と、中年男性がいた。
二人の視線は庭のある一点に注がれている。
彼らの視線の先では、大神操が和麻を庇うようにして四条の術者を激しくやり込めていた。
その様子を遠巻きに、興味津々に見つめる綾乃。
やがて。やりこめられた四条の術者はすごすごと去り、後には鍛錬をする和麻たちが残った。
憮然とした面持ちで去っていく四条の術者達を見送った老人……頼道は、同じく傍らで騒動を見物していた重梧に話しかけた。
「重梧……あまり和麻を綾乃に近づけんほうが良いと思うが」
「それはまた…何故です?あれも、いずれは一族を背負って立つ者。炎術の力量ばかりが全てでないと早めに知っておくべきでしょう。
和麻や操との交流はプラスでは?」
理解に苦しむと言いたげに頼道を見る重梧。
「操はともかく……和麻は厳馬の子だ。情が移っては不味かろう」
「……父上」
頼道の一言に、重梧は言葉を詰まらせた。
和麻の父である厳馬と、頼道の仲が険悪なのは一族中に遍く知れ渡っている。
「父上、厳馬がお嫌いなのは知っていますが…和麻は無関係でしょう。それに、父上も和麻の不遇について思うところがあるのでは?」
「…………」
『そうやって一時の感傷に流されるのが危険だというのに。お前は何度しつこく言っても聞かんな』
頼道はひっそりと溜息をつく。
和麻の境遇そのものについては、頼道から見ても同情したくなる部分がある。
幼少の頃。炎術師としての力量不足を理由に、一族の者から馬鹿にされていた頼道には、今の和麻が受けている痛みにいくらか共感することができた。
『和麻が厳馬の息子でなければ…』ひょっとすると助け舟くらいは出していたかもしれない。
和麻と頼道。
立場は違えど、二人とも神凪の炎術至上主義に苦しめられていた。
違うのは、頼道が謀略で伸し上ったのに対して、和麻は力で伸し上ろうとしている点だろうか。
それに、当時の頼道よりも、今の和麻の立場のほうがもっと悪い。
頼道は『宗家最弱の炎術師』だったが、和麻は炎術師ですらなかった。
親兄弟の助けもなく、神凪一族の中で友人と呼べそうなのは操一人だけ。
この逆境の中。果たして這い上がってこれるか否か。
和麻の芯の強さが試されているといえる。
風牙の風
第11話 1994年J
1994年12月
年の瀬も迫ったこの時節。
一年の中でも特に祭事が多い時期であるためか、神凪一族もいつになく慌しい。
退魔方の長老方が神凪本邸を訪れることもあれば、逆に重梧が家を空けることもあり、道中の警護など風牙の仕事も増えていた。
この場合、警護とは対妖魔でなく対人。テロ対策の意味合いが強い。
直接、相手と向かい合っての勝負には滅法強い炎術師も、感知範囲外からの狙撃などには脆かったりする。
それでも、風術師に守られるというのは彼らのプライドが許さないのだろうか。名目は“付き人”“秘書”といったものだった。
当然、これは風牙衆にしてみれば面白くない話だ。
神凪から見た風牙衆は『陰でコソコソ動く姑息な鼠』、風牙衆から見た神凪は『力押ししか能の無い猪武者』。
それでも結局は、互いを嫌いながらも二人三脚だった。
単純に『属性』として見た場合、炎術師と風術師は相性が良かったのだ。
炎術師の打撃力と風術師の機動力。
神凪の政治力と風牙の情報力。
これら二つが合わさった結果として、今の神凪の権勢があると言ってもいい。
その事実をちゃんと弁えている者は神凪には少ないが、皆無というわけではない。
宗主の重梧は風牙の力を認識した上で、一族の者から反発されない範囲で出来る限りの便宜を図ろうと努めてきた。
兵衛に対する資金援助もその一環。はっきり言って風牙が潰れてしまって一番損をするのは神凪なのだ。
風牙を助けるのには情もあるが、一番先に来るのは神凪一族にとっての利益。
その点は、いくら甘いといっても、重梧も宗主として弁えていた。
一方で先代の頼道はというと、風牙の力の性質上、神凪の内輪事に関わらせるのを嫌っており、彼らを冷遇していた。
神凪に入る情報は、ほとんどの場合、風牙を経由して入ってくる。
このうえ権力まで与えてしまっては、下手をすれば神凪そのものが風牙に乗っ取られる危険性すらある……猜疑心の強い頼道はそう考えていたのだ。
疑り深い……と言ってしまえばそれまでだが。
例えば、風牙衆が神凪の特定の術者に肩入れするようになればどうなるか?
神凪の、ありとあらゆる情報がその術者には流れ込むことになる……当然スキャンダルも。
少しでも頭の回る人間なら、これらを有効に利用して一族の実権を握ることも出来るだろう。
早い話。神凪一族の中で地位が高く、操り易そうな人物を見繕って傀儡にすることで実権を握るという方法もあるのだ。
『自分が風牙なら間違いなくそうする』
頼道はそう確信していた。
そして、政治力はともかく情報力という点で風牙に太刀打ちする自信が頼道にないことから、風牙衆の発言力が大きくなるのは面白くなかった。
頼道は知らないが、既に兵衛は似たようなことを久我従道に対してやっていたりする。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
久我従道 54歳。
四条岳彦 51歳。
黒塗りのセダンが高速道路を走っている。
運転手は神凪家に雇われている使用人。助手席には風術師が座っている。
彼らの背後では二人の中年男が話をしていた。
「……最近。風牙衆と仲が良いようだが」
「そうかね?」
「あれは神凪一族全体に奉仕する者たちです。特定の家とばかり付き合っているのは、些か問題ですな」
「…ふむ。どちらかといえば、私には君の風牙に対する接し方に問題があるように見えるがね。
君の倅、今度は鷲山の子供を病院送りにしたそうではないか」
「………あれは事故だと聞いています」
「ほぉ、それはそれは」
鼻で笑う従道。
「………身内と風術師。どちらの証言を信じるので?」
「証言の正誤に、炎か風かは関係ないだろう。差別意識もそこまでいくと問題だぞ」
「…………」
少し顔が引き攣る。
精霊術に貴賎は無い、とは宗主がよく口にする言葉だが。
どちらかというと運動会のスローガンのようなもので、実際にそれを心から信じている者は少ない。
宗主の従弟にあたる厳馬などは、公の場で風術師を貶すことも珍しくないのだ。そして重梧もそれを咎めたりはしない。
本来、宗主の言葉は絶対なのだが。こういう例外を認めてしまうものだから、下の者にも話半分に聞き流されてしまう。
従道にしても、宗主の理想に心底共感しているわけではない。なんだかんだ言っても『やはり一番は炎術師!』が本音だった。
「まぁ…どちらの言い分が正しいか、当事者でない私には判らんがね。彼らを余り痛めつけるのも感心せんな」
「風術師の肩を持つ、と?」
「万人に対して公正でありたいだけだよ……痛めつけて、我々のために働く者を無駄に磨り潰しても益はあるまい」
「……宜しい。しかし、他の当主方が貴方の言い分に納得するかどうかは、また別問題です。ゆめ、お忘れなきよう」
「そちらこそ、雅行の件もある。あまり宗主の機嫌を損ねては首が危ないのでは?」
「…ふ」
「フハハハ」
引き攣りまくった笑いとともに、互いの間に見えない火花が散る。
車の助手席に座っている風牙の術者は『生きた心地がしなかった』と、後に語っている。
お家騒動の一件以来、四条と久我の仲は最悪に近かった。
久我にしてみれば『逆恨みじゃないか!』なのだが。
四条からすれば頼道に切り捨てられ、大神からも知らん顔をされ……である。
当事者でもないのに自分ばかりが泥を被り、それで久我の一人勝ちとくれば文句のひとつも言いたくなるものだ。
最初は感情論でいがみ合い、今ではお互いに引っ込みがつかなくなった…というところか。
神凪にしてみれば、内輪揉めなど災難以外のなにものでもないが。
兵衛からすれば、神凪の身内争いで自分たちに目が向かなくなるのは寧ろ好都合であり、
表面上は心配しながらも、内心では『いいぞ、もっとやれ♪』であった。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
12月3日。
この日、SCEからプレイステーションが。23日にはNECからPC−FXが発売された。
神凪家でも子供たちの間で話題に上っており、四条家の透少年がPC−FXを。
久我家の修二少年はプレステを購入。サターンにするかプレステにするか、かなり迷っていたらしいが。
偶にその辺を歩いていると、神凪の子供が風牙の子供にゲーム機の自慢をして羨ましがらせているのが目に入ったりする。
特に透少年の浮かれようは、かつて同じゲーム機で大損したことがある兵衛(=正也)の涙を誘うほどだったとか。
(32Bit機戦争か……こういう所は現実世界と変わらんらしいな)
こちらの世界にきて暫く経ってから気づいたことだが、この世界で起きる出来事は、概ね正也がいた世界のそれに沿ったものらしい。
今年2月のリレハンメル冬季オリンピックでは阿部雅司、河野孝典、荻原健司が金メダルを獲得しており、9月4日には、関西国際空港が開港。
その他にもアイドルグループS○APの流行や、某新興宗教団体による毒ガス散布事件など、etc etc…。
(こういうの見てると、ここが違う時代なんだって実感するなぁ…)
正確には異世界にカテゴライズされるのだろうが、大昔(正也の感覚では)のニュースがテレビや新聞で報道されているのを見ると、ついそんな事を考えてしま
う。
いい加減馴染んできた感はあるものの、自分がこの世界で異質な存在なのだと、こういうときには思ったりもする。
炎術やら陰陽道などは現実離れしすぎていて、どこかリアリティが感じられなかったが、このような身近な例を見ると、今の自分の立場というものについて考え
させられることも…
つらつらと物思いに耽りながら漫然と新聞に目をやっていた兵衛は、ふと、熱心に一枚のチラシを見ている流也に気づいた。
「ところで流也。お前もこういうのに興味があったりするのか?」
先程から熱心にゲームのチラシを眺めている流也に、兵衛が聞く。
「はぁ…僕としては先月出たセガサターンの方が」
「………………」
「わ、わかってます。冗談ですよ」
手元の広告を羨むように眺めつつ、流也は言った。
そんなこんなで、兵衛(=正也)にとって最初の一年が過ぎてゆく。