1995年1月


風牙衆は従来の血縁重視からくる排他性を抑え、外部から退魔師を招聘。

外部の陰陽師『賀茂』とも連携することによって、徐々にではあるが、戦力を整備しつつあった。

さらに、大神家の跡目争いを契機に、神凪の分家である久我家とも接近。

この時、先代宗主の神凪頼道の暴政によって、風牙の術者が相当数目減りしていたことが幸いする。

血族集団である風牙衆の術者は、失ったからといって簡単に補充が利くものではなく。

かといって風牙衆の仕事量を減らすのは、分家や長老達の猛反発が予想された。

重梧は対応に苦慮した挙句、兵衛の発案である外部からの術者招致を承認。

頼道などはいい顔をしなかったが、彼にしても風牙をここで使い潰すのは余りに惜しい…ということで、一応は傍観する。

そして、風牙には人材集めの為の予算が下りることになった。





神凪本邸にて。

神凪頼道、神凪重梧。


「何故、儂まで風牙の為に金を出さねばならんのだ」


「分家からも徴収するのです。我々だけ出し渋るのは、問題でしょう」


「……………」


フリーランスの退魔師を8名。

安い買い物では決してないが、風牙が再建されるまでの繋ぎには十分だった。


「気に入らん!だいたい、お前は連中に甘すぎる!生かさず殺さずが基本だろうに」


「む、無茶を言わんでください。父上」


重梧は頭を抱えたくなった。

こういう時。父は本気で言ってるから性質が悪い。


「そのような考えでは、下の者がついてきません。」


「ふん。いまさら多少の飴をしゃぶらせたところで、風牙が我らに靡くと思うか?」


「………」


「まず、無理だな」


これには反論の余地もない。

神凪は数百年に渡って風牙を隷属させてきた。

当然、両者の間の遺恨は根深い。


「………それでも、風牙をここで潰すわけにはいきません。彼らが倒れれば、神凪は一気に弱体化します」


「まあ、それは分かるがな。」


「そうでしょうとも」


「しかし、何も人選まで風牙に任せることもあるまい。雇うなら我らの息のかかった人間をだな…」


「風術師のパートナーを、炎術師の我々が選ぶのですか?そんな事をしては現場が混乱します。」


二人の言い分は、ある意味でどちらも正しく、どちらも間違っていた。

風牙衆に政治的なフリーハンドを与えるのは、色々な意味で問題がある。

風牙が人材集めと称して、外部の退魔集団と独自に接触を持つことは、神凪にとってあまり歓迎できることではない。

かといって、風術師のサポート要員を畑違いの炎術師が選んでも、それが現場で役に立つかどうかは疑問だった。

重梧は現場を知る退魔師としての経験から、頼道は政治的な観点から言っている。

意見が衝突することの多い二人。

何度も意見を摺り合わせて、それでも結局は、現宗主である重梧の意向に重きが置かれる。


「………むぅ…仕方あるまい。だが、監視は怠るなよ?」憮然とする頼道。


「考えすぎかと思いますが…肝に銘じます」


彼らが恐れるのは、風牙衆が政治的に神凪から独立してしまうことだった。

反乱?…そんなものは想像の埒外だった。

重梧も、頼道も全く考慮していない。

神凪は退魔方の重鎮であり、日本政府にも強い影響力を持っている。

仮に風牙が反抗しても、力で押さえつける自信はあるし、退魔の力に拠らず…例えば不意をついての暗殺などの凶行に出た場合には、

退魔方と政府の双方から、風牙は狙われるだろう。

退魔師としての実力もさることながら、政治力で神凪に圧倒されている時点で、風牙に勝ち目などなかった。

勝てるとすれば、国家権力をも跳ね除けるだけの力……それこそ“神”にでも縋るよりない。




































風牙の風

第12話 1995年@




































1995年1月17日

午前5時46分 神戸


まだ陽も昇りきらぬ早朝。

突然、耳を塞ぎたくなるような轟音が地中から響き、辺りの建物が一瞬持ち上がる。

続く2度目の轟音が響いてから、大きな縦揺れが街を揺るがした。




 兵庫県南部地震『震度7・マグニチュード7.3・六甲ー淡路断層帯』




次々と寸断されていくライフライン。

地震に強いと言われていた日本の高速道路も、縦揺れには弱く、大きく路面が波打って倒壊。

住宅街では火災旋風が巻き起こり、被害を拡大した。

特に、昔ながらの木造日本家屋は、揺れに耐え切ることができず次々倒壊。木材が乾燥しているせいで火災による被害も多かった。



そして、震災の発生から時をおかず、付近の消防隊、救急隊が活動を開始。

行政手続に手間取っていた自衛隊がそこに加わり、交通渋滞などに悩まされながらも、装備と機動力を活かして被災者を救助していく。




一方で、古い木造建築の重要文化財にも、被害は大きかった。

地霊を鎮めるための楔として機能していた寺社が、この震災によって多数損壊。

封じられていた妖も、何体かは、封印の綻びを突く形で解き放たれた。

これに対応すべき陰陽師“橘”は、本家が震災の被害をもろに受けて、実質的に機能停止。

運良く被害を免れた分家は、独自の判断で行動を起こすも統制が取れず、対応は場当たり的なものになった。




この事態を受けて、近隣で最も大きな力を持つ、高野山の退魔集団が行動を開始。

各地に法力僧を派遣して事態の収拾に当たらせた。





和歌山県

高野山 真言宗総本山



袈裟姿の男が2人、差し向かいで話していた。


「大師……」


「橘との連絡は、まだ取れんのか?」


「分家の桐生、浅倉とは既に。本家とは…未だに不通です」


「全く…肝心なときに動けんとは。何故こんな事になったのだ?連中の本家は京都…被害はそこまで大きくはなかったはずだぞ?」


「親類の冠婚葬祭で、神戸のオリエンタルホテルに宿泊していたそうで。」


「そこは…倒壊したのではなかったか?」


「……………どうもそのようで」


「…………………………」


「…………………………」


国内屈指の勢力を誇る陰陽師であり、退魔集団としても10指に数えられる“橘”。

その中枢が、たった一度の地震で全滅するなど悪夢に近い。


「ま…さか…連中とて防御手段くらいは」


「ふ、札を持ってなければ…絶望的ですね」


思わず最悪の事態を想像してしまい、揃って表情を引きつらせる。

嫌な沈黙が、辺りを支配した。


「と、ともかく、今は被災地周辺の霊害を鎮めるのが先決だ」


「そ、そうですね。……交通が遮断されている、神戸などの震源地付近をのぞいて、既に付近の法力僧が急行しております。」


「既に解き放たれてしまった妖については?」


「そちらに関しては、既に神戸に向けて5隊を派遣しております。

 また、被災地周辺には封鎖線を設け、妖どもを囲い込む手筈も整っております。」


「当面は、それで良いかも知れぬ。だが、長引けば被災地内の住民や、救助隊にも被害が及ぶぞ」


眉間に皺を寄せる大師に、男は恐縮するように顔を軽く伏せた。


「流石に、これ以上をするには僧の数が足りません。橘が動けない為、彼らの担当区域にまで兵を送らねばなりませんので」


退魔方の総本山とも言われる、高野山が抱える退魔師の数は膨大だが、無限というわけではない。

唯でさえ近畿一帯には、その歴史的経緯から古い寺社が多数存在しているのだ。

封じられている、古き妖の数も馬鹿にならない。

震災の被害が封印(あるいは寺社)にどれだけ及んでいるのか調べるだけでも、ひと苦労だろう。


「やはり厳しいか…」


「人員に関しては、各地の退魔方からの応援が期待できますので、明日には如何にかなるでしょうが」


「一般人に被害が出てからでは遅い。急がせよ」


「承知しております」


「……それで、支援を表明しているのは何処の退魔だ?」


「橘の分家より要請を受けた神凪が、既に支援を表明しています」


「神凪か」


面白くなさそうに大師は呟く。

先代宗主の頼道に、何度か煮え湯を飲まされた経験がある彼としては、神凪を呼び寄せることに抵抗があった。

別に、彼だけが特別そう思っているわけではない。

頼道時代の神凪の、手段を選ばない勢力伸張策は、他の退魔集団から反発を買っており、当時の遺恨は今も根強く残っていたりする。

重梧が後を継いで以降は多少マシになったものの、未だに『頼道の息子』というだけで警戒されることもあったり。


「連中が来れば、多少は楽になるかと。」


「……仕方あるまい」


どこか憮然とした様子で、大師は呟いた。






    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆






橘からの要請を受けた重梧は、直ちに術者の派遣を決定した。

各分家の当主が呼び集められ、短い協議の後、炎術師15名、風術師10名からなる戦力を送ることが決定される。

関東を中心に活動する神凪の炎術師が、一斉にこれだけ動くというのはここ十数年無かったことだ。

このことからも重梧がどれだけ事態を重く見ているかが窺い知れる。



神凪宗家1名(神凪厳馬)


大神家2名(大神雅人、大神武哉、)


樋上家2名(樋上啓輔、樋上勇介)


四条家3名(四条岳彦、四条圭、四条透)


久我家2名(久我修一郎、久我修二)


結城家3名(結城廉也、結城慎吾、結城慎二)


永峰家2名(永峰慶子、永峰湯馬)



全体の指揮を執るのは、当然ながら、宗家から唯一派遣される神凪厳馬。

以下のメンバーのうち、分家の当主は大神雅行と四条岳彦の2人が含まれている。

これは、以前のお家騒動で面目を潰した大神、四条両家の名誉挽回の機会として、重梧が気を利かせた結果でもある。


「兵衛。風牙から送る術者については、早急に選抜しておくようにな」


「承知致しました」


慇懃に頭を垂れる兵衛。


『流也をトップに置いて、鷲山に補佐を任せれば……うん、それで行くかな』


既に、兵衛の中では選抜する術者の名簿が出来上がっていた。

自分が行く…という選択肢は当然無い。


『退魔師として見た場合、俺は間違いなく風牙で一番の役立たずだからな』


これは、まず間違いない。

いくら“風巻兵衛”としての知識を持っていたとしても、その中身は一般人の大学生なのだ。

直接的な戦闘は、いわずもがな。後方で指揮を執るのも難しいだろう。

例えば戦術指揮官として術者たちを統括するには、戦局に応じて臨機応変な判断を下していかなければならない。

通り一遍の知識を持っていたところで、それを有効に活用できなければ意味は無い。

そして、命を懸けた戦いどころか社会人としての経験さえ碌にない自分に、そんな芸当が出来るとは到底思えなかった。

自分が曲がりなりにも、頭領として巧くやっていられるのは、原作や元の世界の歴史を知っているというアドバンテージと、

自分の思い付きを具体的なプランに仕立て直してくれる風牙各家の当主達。そして自分に代わって現場で動いてくれる流也が居てくれたからだ。

正也はそう思っていたし、それは一面において事実だった。









東京 神凪本邸

兵衛居室



「―――――そういうわけでな。すまんが近畿まで遠出してくれ」


「まあ、構いませんよ。退魔師としての本分ですし」


兵衛の言葉に、流也は気負いもなく頷く。

宗主の決定から直ぐに、移動のための準備が開始されており、表には車が数台まわされている。

こういう場合、特に装備のいらない精霊術師は便利なもので、身一つで現場に出向くことが出来る。

風牙衆の場合は無線機器などの用意があるのだが、これも大して時間のかかるものではない。


「こちらから送る者については鷲山、風能、栄枝から特に練度の高い者を選抜してある。

 常邦が補佐につくから、まあ分からないことがあれば彼に聞くと良い」


「有難うございます。必ずや、父上の御期待に応えましょう」


「………ま、まあ頑張ってくれ」


大きな仕事を任されたことに相当な高揚感を感じているらしい流也に、やや気圧される兵衛。


「行ってらっしゃいませ、兄様」


続いて、葉月が兄を激励する。

ふと外を見ると、既に神凪の術者たちが準備を終えて出てきていた。

その中には、出発に先立って親から激励されている若い術者の姿もある。


「そろそろ行ったほうが良い。あまり神凪を待たせてもいかん」


「はい。それでは、行って参ります」


最後にあらたまって言うと、流也は荷物を持って部屋を出て行った。








「父様…」


「心配いらん。あれの実力は知っているだろう?無事に戻るさ」


そう言って肩を軽く竦めると、手元の湯飲みに、急須から温くなった緑茶を注いだ。


『ま、俺みたいな“なんちゃって退魔師”が流也の心配をするなんて、それこそ100年早いわな』


普段の流也が、どれ程の……それこそ血の滲むような鍛錬を重ねて技を磨いてきたことは、一緒に暮らしている兵衛や葉月がよく知っている。

だからこそ、信じて待つことが出来る。


『本当の父親でもない俺が、こんな事を考えるのは噴飯物かもしれないけど、な』


その内心の呟きが、口をついて出ることはなかった。





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