「彼がもてる理由…解った気がするわ…」


ふと、そんな言葉が口をついて漏れ、自分が言った言葉の意味に晴美は赤面した。


「………馬鹿馬鹿しい!………もう寝よ」


ばふっと布団に顔を埋め、暫くしてから寝返りを打って眼を閉じる。


彼女の布団から静かな寝息が聞こえ始めたのは、それから5分後のことだった。





































灼眼のシャナ 存在なき探求者

第9話 蠢く者




































照明の落ちたビルの中。

数年前に閉鎖されたデパートの5階フロアは、何年もの間、人から放置されていたとは思えないほど清潔に保たれていた。

既に日は落ち、照明が落ちているにも拘らず、室内にはうっすらと明かりが灯っている。

その原因はフロアの中央に設えられた箱庭だった。

巨大な箱庭の街が、フロアの中心に広がり、薄白い燐光を放っているのだ。

玩具の模型やブロックをつなぎ合わせて作られたそれは、御崎市の全域を精巧に擬している。

その見事なジオラマは、人間の手によって作られたものではない。

『波璃壇』

かつて、『祭礼の蛇』という名の“紅世の王”が己の支配する街“大縛鎖”を監視するために造り上げたという宝具である。

箱庭の中には無数の人間、そして鳥を象ったオブジェが薄白い燐光を放ちながら存在していた。


「ふむ、門外漢が随分とうろついているようだが―――」


闇の中から声が響いた。

直後、鳥を象ったオブジェの一つが激しく光を明滅させたかと思うと、炎を放ちながら燃え尽きてしまった。

嘆息にも似た吐息が闇から漏れ聞こえる。


「……追捕に出した者が落とされたようだね」


コツ、コツ、コツ―――


靴音も高らかに、闇から男が姿を現した。

純白のスーツを隙なく着込み、頭髪は自然色には有り得ない空色。

幾多のフレイムヘイズ達を屠り続け、近代以降―――実に200年以上に亘り―――五指に数えられる“紅世の王”。

『狩人』フリアグネは、白磁を思わせる美麗な容貌に微かな笑みを張り付かせ、呟いた。


「既に死に体だと思ったが……なかなかどうして。“紅世”に名だたる魔神を契約者とするだけの事はある、か」


それだけ言うと、フリアグネは瞑目し、何事か呟いた。

すると、『波璃壇』が一際大きく輝き、人間を象ったオブジェの幾つかが鬼火へと変じた。

フリアグネはその数を確かめ、ややあって失望の溜息を漏らした。


「未だ布石は揃わず…か。ままならぬものだ」


「御主人様。」


箱庭に見入っているフリアグネに、声をかける人形があった。

フリアグネは人形に顔を振り向けると、それまでの難しい表情を一変、破顔した。


「ああ、マリアンヌ。愚痴を言ってしまってすまない。これは君をさらなる高次の存在へと昇華させる為の儀式だというのに…」


すまない、とまた繰り返し、マリアンヌと呼んだ人形を抱き上げる。

粗末な毛糸の髪を愛おしげに撫でつつ、囁く。


「もう少し、もう少し待っててくれ。君を燐子などという道具では無い。この世で生きていけるひとつの存在にしてみせる。」


「すでに十分な“意思”は頂きました……まだ、足りないのですか?」


「ああ、足りない。今の君は…“燐子”という存在は、とても不安定だ。

 “存在の力”を集めることは出来ても自分に足すことは出来ず、私たち“徒”に力を供給されなければ3日と持たずに消えてしまう……

 余りに儚すぎる存在だ。」


「私はそれが御主人様との分かち難い絆であると信じています。」


心中を表すかのようなふらふらと乱れたフリアグネの声に、マリアンヌは逆に確信の声で答える。

すでに幾度と無く繰り返された問いと答え。


「嬉しいよ、マリアンヌ。だけど、私は君のために出来ること、全てを行う……

 それこそが、今、私がこの世に存在している全ての理由なんだ。」


確固とした決意表明。

その至情が篭められた声とともに、フリアグネはマリアンヌを抱く腕に力を込める。

そして視線を箱庭の街へと戻す。


「待ち遠しいよ……数百年に亘る宿願……それがようやく叶う。マリアンヌ…だからもう少し…」






“もう少しだけ待っていてくれ”







    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆








「近いな…」


時計の針は間もなく9時を指そうとしている。

街が寝静まるには些か早い時刻。

人気のない路地をふらふらと歩いていた悠二は突然立ち止まり、ポツリと呟いた。


「一体街にどれだけ入り込んでるんだか……面倒な」


げんなりした様子で零したとき、路地の角から、サファリスーツを着た優男風の“徒”があらわれた。

あまり大きな力は感じられない。


「おやおや、同胞を手当たり次第に狩っているというのは君かい、少年?」


「別に手当たり次第ってわけでもないんだけどね…」


溜息混じりに呟く。

正直なところ、御崎市内で暴れなければ見逃してもいいくらいだ。


「フン…だが私が来たからにはそうはいかん。我が名は『黄塵の―――」


「砕!!」


裂帛の叫びと同時に、“徒”の足元から薄緑の炎が膨れ上がり、一瞬で全身を飲み込んだ。


「ガアアアアアアアアアッ!!!」


悲鳴を上げて地面に転がる黄塵なんちゃらとかいう“徒”。

早くもボロボロである。


「グ……ゥ…ッ…き、貴様セリフの途中で…」


「“爆”!!」


何か抗議を口にしようとしたらしい“徒”を再び爆炎が包み込み、今度こそ完全に消滅させてしまった。


「ふぅ……これで3体。いい加減打ち止めじゃないか?」


『市内に入り込んでいる具体的な数までは聞いてませんでしたからね』


「これならドミノにも手伝わせたほうが良かったかも…」


ぼやきながら服に付いた埃を払い落とす。

腕時計を見ると、既に時刻は11時を回っていた。


「明日も学校あるんだけど……正直徹夜はな〜」


あからさまに嫌そうな顔でぼやく。

その時。


「ん?……この感じは」


どことなく覚えのある“存在の力”を感じ取り、悠二は足を止めた。

吸い寄せられるように、夜の公園に目を向ける。


「あれは今朝の…」


驚きに目を見張り、悠二は新御崎公園に足を踏み入れた。






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