―――――こうして見ていると、ただの可愛い女の子にしか見えないですけど…
だが、その華奢な身体の内には強大な―――それこそ自分の主さえ凌駕するほどの魔神が宿っている。
響子にはそれが解った。
願わくば、その強大無比の力が己の主に向かうこと無きよう…
「それじゃ、お休みなさい」
小さく呟いて、部屋の明かりを消すと、響子は足音を忍ばせてリビングから出て行った。
そんな響子の後姿を、少女の契約者たる“王”はジッと見つめていた。
灼眼のシャナ 存在なき探求者
第12話 早朝
東の空が薄っすらと白み始めた頃。
「ぅうん………」
ベッドの中で熟睡する悠二をその傍らでジッと見つめる視線があった。
「アラストール…?」
『この者とは約定がある。討滅は待て。』
討滅せずとも良いのかという少女の無言の問い掛けに、『天壌の劫火』アラストールは一言だけ返した。
少し前に少女の意識が覚醒し、見知らぬ民家で寝ている事に混乱していた少女を2階にある悠二の部屋に誘導したのは彼だった。
不服そうに唸る少女は捨て置いて、アラストールはそのままドップリと思考の海に浸る。
昨夜の戦いにおいて、この坂井悠二という少年が使用した自在法、宝具。
それには莫大な存在の力が込められていた。
特に、自身の契約者たる少女に注入した存在の力は、並の“徒”であれば枯死しかねないほどの量が注がれている。
たとえ“王”であっても、それだけの力を使えば早急に力を補給―――つまり人を喰らう必要がある。
だが――――
(昨夜中に家から出た痕跡は無い…燐子も同様だ)
昨夜帰宅した時点で、悠二はかなり消耗していた筈であり、
おまけにあれ程強力な(確固たる自我を有する燐子は、それだけでも充分高度な存在である。)燐子さえ維持しているとなれば、
この時点で消滅していたとしても不思議ではない。
だというのに。
(力が…回復している?)
ひとつだけ、アラストールには思い当たることがあった。
昨夜の零時に起きた、存在の力の変異。
『流動』でもなければ、『転移』でもない。
“自然”に『発生』したのだ。
(――――待て……“零時”だと?)
そこまで考えて、アラストールはある一つの可能性に思い至った。
時の事象に干渉する“紅世の徒”秘宝中の秘宝。
日々消耗していく存在の力を一日という単位に括り付け、毎日零時に、その前日の消耗を回復させるという…
「アラストール?」
不意に、少女が話しかけてきた。
『む…なんだ?』
「なんだ…って、アラストールこそどうしたのよ。急に黙っちゃって」
『いや…』
アラストールは言い淀んだ。
正直なところ判断に迷う。
『零時迷子』とは言ってみれば永久機関。
強大な“王”が自身のために使えば恐るべき効果を発揮する。
なにしろ消耗を恐れることなく自在法なり宝具なりを乱発できるのだから。
(危険すぎるな…)
故に迷う。
最も簡単な解決方法は目の前の少年を討滅してしまうことなのだが、流石に命の恩人の寝込みを襲うというのは憚られるものがあった。
フレイムヘイズとなる人間にとって“徒”とは近しい者の仇であり、不倶戴天の敵に過ぎないが、契約者の“王”にとっては同胞なのだ。
まして、この少年はこれまでのところ人を喰らっていない。
自身の力が危険なまでに目減りしていたにも拘らず、だ。
罪を犯していない“同胞”を討滅するというのは、流石に躊躇を禁じえない。
(暫くは、様子見か)
自身の葛藤に決着をつけ、アラストールは再び少女に意識を向けた。
『少年が目覚める前に、下に降りるぞ』
「え?何か用があったんじゃ…」
『もう済んだ』
ますます混乱している少女を急かすようにして、アラストールは少女に退室を促した。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
――――――――『もう行ったようですよ』
少女が部屋を出て行った後。
頭の中にそんな声が響き、悠二の眼がぱちりと開いた。
「ふう、如何にか討滅はされずに済みそう、かな?」
――――――――『解りませんよ?休戦が終わったら、また襲われるかも』
「……不安だ。」
教授の声に顔を少し顰め、ベッドの上で上半身だけ起こして伸びをする。
と、目覚ましの置時計を見てギョッとする。
「まだ6時にもなってないし…」
昨夜からの睡眠時間が頭に浮かび、一気に疲れたような気分になった。
だいたい学校に行くにしても7時半に家を出れば充分に間に合うのだから、わざわざこんな時間に起きる必要は無い。
……まあ今回は、ある意味命がかかっていたので起きるしかなかったわけだが。
「……寝るか」
ぼそっと呟き、再び布団の中に身を埋める。
そのまま二度寝を決め込もうというところで、充電機に接続してあった携帯電話が振動した。
「誰だこんな朝っぱらから」
布団から顔だけ出して、悠二は小さく毒づいた。
ブツブツ言いながら携帯を充電器から引き抜き、メールの着信を確認する。
幾つかのボタンをプッシュして内容を確認すると、悠二は疲れきったように大きく息をついた。
「まったく、こんな早朝に」
ブツブツ言いながらもベッドから起き上がり、手早く服――――御崎高校の詰め襟制服に着替えていく。
――――――――『学校に行くには早いんじゃないですか?』
「その前に寄る所がね…」
そう言いつつ服を着替え終えると、悠二は学生鞄を引っつかんで部屋の窓を開けた。
――――――――『“炎髪灼眼”はどうするんで?』
「そっちは……うん、ドミノに任せる」
――――――――『丸投げですか』
「細かいことは気にしないように。」
そういうと悠二は机の中からルーズリーフ用紙を取り出してボールペンで何か書き込んでいく。
これでよし、と呟くと再び窓の前に立った。
「じゃ、行ってみようか」
そう言って悠二は窓枠に足をかけ、そのまま飛び降りてしまった。