「こりゃ急がないと拙いかも」


話し込んでいるうちに結構な時間になってしまった。

それとなく周りを見渡すと、遅刻ギリギリで校門に駆け込もうとする生徒たちが全力疾走しているのが見えた。


(学校といえば……藤田さん来てるかな)


昨日偶然出くわした女生徒の事を考え溜息が漏れる。


「拙いよなぁ…何かの拍子に思い出されでもしたら」


顔を顰め、思案に暮れる。


――――――――『後悔するくらいなら私の提案通りにしておけば良かったではあぁりませんか?』


「冗談やめれ」


唯でさえ身に覚えのない女性関係について色々と痛くもない腹を探られる毎日だってのに。


――――――――『自覚が全く無いというのもある意味滑稽ですねぇ』


そこはかとなく馬鹿にされたような気がする。

釈然としない気持ちのまま、悠二は今にも閉められようとしている校門に向かって全力で駆けた。




































灼眼のシャナ 存在なき探求者

第15話 平穏




































「ふう…到着、と」


薄っすらと額に浮き出た汗を軽く指で拭いつつ、校門をくぐった。

今にも門を閉めようとしていた生活指導教員はそんな悠二を唖然とした面持ちで見ている。

悠二は自分がどれ程の速度で走りこんできたか気づいていない。

陸上部の顧問を勤めているその教師は思った。

『あの足なら確実に世界が取れる!』と。


「?……おはようございます先生」


「…………………………あ……ああ…」


とりあえず挨拶してみると、教師はぎこちなく頷きながら門を閉めた。

ガシャンと音を立てて門が完全に閉まると、門限に間に合わなかったらしい生徒の嘆き声が外から聞こえてきた。


「それじゃ、今日も一日気張っていきますか」


そう呟くと、小走りに校舎に向かって駆けていった。

途中、後ろの方からオリンピックがどうとか、金メダルがどうとかいう叫びが聞こえてきたような気がするけど……

まあ気のせいだろう。







教室のドアをくぐると、自然と視線が前に向いた。


(藤田さんは……)


見ると、隣の女生徒にノート(たぶん宿題だろう)を見せている彼女の姿があった。

――――上手い具合に自己完結してくれた、か。

決して表情には出さずに、悠二は感心していた。

見たところ元気そうだし、何か記憶を刺激するようなことが起きなければ問題は無いだろう。

とはいえ今の街の状況を考えると、あまり安心できたものではないが。

一人頭を悩ませていると、後ろから声をかけられた。


「よう坂井」


振り返った先には池が立っていた。

何故か知らないがマスクをつけている。


「池か…どうしたんだ?そのマスク」


「………何故か知らんが昨日の夜、公園のベンチで目が覚めてな」


どこか辛そうに言う池に、悠二の肩がビクリと震えた。


「おかげで風邪をこじらせたらしい。全く…春先とはいえ一晩あんなところに放置されたら体壊すぞ」


グチグチと文句を言う池に、しかし悠二は別のことで頭が一杯だった。

池を寝かせておいた新御崎公園。

それは昨夜、悠二の手によって跡形も無く消し飛ばされた場所。つまり…


――――――――『タイミングがずぅれていたら危なかったですね』


全くだ(汗)

というか、あの時点で池のことはすっかり忘れてたから、下手をすると敵もろとも吹き飛ばしていたかもしれない。


「本当に昨日は酷い目に……」


「池。もうその話はよそう」


「い〜や、まだ話すことは幾らでも………っ!…ま、まあもうすぐ授業だしこの辺にしとくか」


そう言って池は追求をやめてくれた。

頚動脈に突きつけられたボールペン越しに僕の誠意が伝わったのかもしれない。

渋々といった様子で池が自分の席に戻っていくのを見届けると、疲れきったように机に顔を突っ伏した。


(朝っぱらから色々ありすぎて……もう休みたい…)


街の中には“狩人”が居座り、有象無象の雑魚が大量に徘徊している。街の外に目を向ければ“組織”が暗躍している。

家で休んでいるフレイムヘイズの少女のことも気になるし、藤田さんの記憶にもまだ不安が残るし、それから……


(考えててもキリがないな…)


内心で泣き言を吐く悠二の耳に、始鈴のチャイムが聞こえてきた。


(もう何事も起こりませんように…)


できれば学校にいる間くらい平穏無事に過ごしたい。

かなり切実に祈りをささげる悠二。

もっとも、その願いは今より僅か数時間後に粉微塵に打ち砕かれることになるのだが…

この段階では悠二が知る筈もなかった。







    ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆       ◆







午前中の4限授業が終わり、昼休み。

弁当持参組を除いて生徒たちは食堂へ、購買へと駆けていく。

かく言う悠二も弁当は持ってきておらず、昼をどうするか頭を捻っていた。


(食堂にするかパンで済ませるか…)


財布の中身をそれとなく計算してみると、何とも楽しからざる事実が判明した。


「305円……パンとジュース…も買えんな、これは」


がっくりと肩を落とす悠二。

一昨日は夕食にピザを頼み、昨日はフレイムヘイズの少女にメロンパンを奢ったのが響いている。

そんな時。


「坂井くん!」


藤田さんがやってきた。


「んん?どうしたの」


怪訝そうに見返すと、

彼女はどこか言いづらそうに口ごもってから小振りの風呂敷包みを差し出してきた。

頭の上にクエスチョンマークを浮かべながらもそれを受け取り、包みを開けると、

中には実用一点張りの半透明タッパーに収められた弁当が入っていた。


「えーと……」


「昨日のお礼。……余計だったかしら」


「い、いや。そんな事はないけど……」


思わずどもってしまう。

気持ちは嬉しいのだけれど、うちのクラスでこういう事をやられると――――――――








「さ、坂井!!?貴様…吉田さんに続いて今度は委員長をオトしたのか!?」


「馬鹿な……“1年2組のエヴァン・エマール”と呼ばれた難攻不落の委員長が!!!」


「『同級生』『お姉さん』『幼女』ときて今度は『委員長』だと!?奴は化け物か!?」


「くぅッ!!『眼鏡』『委員長』『ドジっ子』と三つの属性を併せ持った希少種が!!貴様ぁっ!ワシントン条約を知らんのか!!」








――――――――こうなるのだ。

非難轟々。

“こういう”話題で大騒ぎするのは中学生までだと思ってたけど、ウチのクラスは一味違うらしい。

というか、男子生徒達と一緒になってブーイングを飛ばしているウチの現国教科担任は一体何者だろう?

藤田さんも顔を引き攣らせている。

その額には小さくはあるが青筋が浮かんでいたり。

ちなみに彼女、本来の役職は『クラス副委員』である。

『委員長』などという役職は御崎高校には存在せず、これはあくまでも彼女につけられた渾名(それも男子限定)ということになる。

何故だか知らないが、そう呼ばないといけない決まりらしい…………本人は嫌がってるけど。


「藤田さん……次からは気をつけたほうが良いよ」


「……肝に銘じておくわ」


ニッコリと悠二に微笑み返すと、クラス日誌を手にとって男どものほうにユラリと歩いていく。




ガッ!ガッ!ガガッ!ゴッ!ゴッ!ガッ!ガッ!ガッ!ゴガッ!!




立て続けに鈍い打撃音が響き渡り、その合間に時折、男の呻き声が混じる。

やがて男子だけでなく現国教師まで昏倒させた藤田さんは汚物を見るような目で男達を一瞥してから自分の席について弁当を摘みはじめた。

彼女が席についてから一拍おいて、女生徒達の間から疎らな拍手が沸き起こる。

それが済むと、今度は何事もなかったかのように昼食が再開された。

どうやらこのクラスでは慣れたものらしい。


「平穏な日常……か」


死屍累々と横たわる男達を横目に、悠二は自虐的な笑みを浮かべると、

貰い物の弁当に箸をつけた。














「あ………かなり美味いかも」




























【適当かつ他力本願な用語解説】




エヴァン・エマール要塞


1935年にベルギー軍が建設した要塞。
周囲をアルベール運河とギール川に挟まれた天然の要害であり、多数のトーチカ・対戦車壕を配した欧州屈指の要塞だったとか。
ただし、実際には第2次大戦初頭にドイツ軍の空挺部隊に急襲されて1日で失陥したらしい。強いねドイツ。




ワシントン条約(英 Washington Convention)


正式名称は、「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」という。
英文表記の Convention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Flora の頭文字をとって、
CITES(サイテス)とも呼ばれる。(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)
断じてワシントン海軍軍縮条約ではない。




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