真昼の御崎市駅。
そのターミナルに1人の女性が降り立った。
外見は二十歳過ぎ。
欧州系特有の鼻筋の通った美貌を薄化粧で、しかし見事に彩っている。
ストレートポニーにした栗色の髪の艶やかさや、抜群のプロポーションを包む、丈の短いスーツドレスの着こなしなど、その全体は、まるで撮影を待つトップモ
デルだった。
ただし、その『笑えば絶世の』という枕詞の付く美貌は、険悪半分困惑半分に歪められていた。
縁なしの眼鏡を通して放たれる眼光も、強烈なまでの鋭さをもって周囲の通行人を威圧している。
「ちょっと。」
そのよく通る、凄みのある声に、近くにいる通行人たちはびくりとする。
が、彼女が話しかけた相手は“人”ではなかった。
「なにこの街…トーチだらけじゃない。」
彼女が話しかけた相手。
それは“本”だった。
異様に大きく分厚い本。
まるで画板を幾つも重ねたような、モノゴツさである。
それが、鞄のような下げ紐をつけた、ブックホルダーとでもいうような物に収まっている。
女性は視線をその本に流し、吐き捨てるように言う。
「妙な感じね。……さっきのストーカーといい。」
それに答える。
本が。
『ハッ!あのコソコソつけ回してた連中かぁ?いつもみたくヤキ入れてやりゃよかったんじゃねえかぁ!?今回は随分と大人しいねえ!我が麗しの酒盃、マー
ジョリー・ドー!!!!』
その、本があげた下品で耳障りなキンキン声に女性は秀麗な眉を顰める。
マージョリーと呼ばれた女性は、ボスン、と本をぶっ叩いた。
「ったくマルコシアス!あんたがそんないい加減な調子だから、ラミーなんて雑魚をいつまでも追う羽目になってんのよ!」
『おめえに言われるたぁ心外だねえ!追ってる間に偶然ぶつかる奴を律儀にミナミナ殺しにしてっから、いつまでも肝心の標的が殺れねえんだろ?』
「当っ然でしょ!“紅世の徒”をブチ殺すのが、私たちフレイムヘイズなんだから!!」
敵はぶち殺す、その方針自体に異存は無いらしい。
『……?じゃ、何が不満なんだ』
「いつまでも同じ獲物追ってるって状態が鬱陶しいのよ!ちゃっちゃとぶっちめないと、シャツのタグが引っかかるみたいに気持ち悪くてたまんないでしょー
が!」
『ッハ!なぁるほど、それじゃ今回はマ〜ジメ〜に殺るか。』
「そーよ。真面目に殺るのよ。」
口元を歪ませ、本を軽く、ポンと叩く。
「まずは、案内人を見つけないとね…」
呟いて、フレイムヘイズは歩き出した。
獲物を捜し求めて。
灼眼のシャナ 存在なき探求者
第10話 介入
「おや……」
「御主人様?」
突然声を上げた主人に、従僕たる燐子『マリアンヌ』は声を掛ける。
「ふむ、偵察に出していた者が幾つか落とされたようだね。」
フリアグネの視線は広域監視用宝具『波璃壇』に注がれている。
街の各所に配置された白い球状のマーカーが数を減らしている。
しかも1つや2つではない。
顎に手を当てて考え込む。
街の外からの侵入者を、逆に街から出ようとする者を監視していた燐子たちが次々に破壊されているのだ。
しかも、『波璃壇』には攻撃した者―――おそらくはフレイムヘイズ―――の“存在の力”が全く映されていない。
おそらく、『波璃壇』の効果範囲外―――市外から攻撃を加えているのだろう。
破壊された燐子は、いずれも御崎市と市外の境界に陣取っていた者達だ。
しかも……
「街の外縁部から……3……5…6……位置関係と時間から見て単独ではないな。どうやら計画を早める必要があるようだ。」
複数のフレイムヘイズがこの街に…
珍しく焦燥を滲ませて言う主人に、マリアンヌは不安げな声を上げる。
「しかし…発動には未だトーチの数が不足しています。……街を離れ、再起を期すのも一つの手ではないでしょうか?」
マリアンヌにしてみれば、この計画は主人の命を危険に晒してまでするほどの事には思えない。
そもそも、『都喰らい』は『転生の自在法』を起動するための布石に過ぎない。
この自在法によってマリアンヌの存在を『燐子』から『徒』に昇華させるのがフリアグネの目的なのだ。
(……名誉なことだとは思う。)
だが、仮にそれが成ったとしても、フレイムヘイズに討滅されてしまっては意味が無いのだ。
『都喰らい』によって得られる“存在の力”は全て『転生の自在法』の起動に割り当てられる。
これほど大量の“存在の力”を制御し、なおかつ精密極まりない自在法を起動するとなれば、主に掛かる負担は可也のものだろう。
転生直後の疲労したところを襲われればひとたまりも無い。
「だが……いや、やはり中止はできない。」
マリアンヌの諫言に、フリアグネもやや迷いを見せるが、すぐにそれを振り払う。
確かに、状況はかなり悪い。
だが―――
「『都喰らい』の範囲を縮小しよう。街全体ではなく、川向こうの住宅街に狙いを絞って発動すれば、今あるトーチでも十分に足りる。」
「ご主人様…」
「大丈夫。大丈夫だ。…『転生』には些か量が足りないかもしれないが、それはまた別の街を喰らえばいい。そうだろう?マリアンヌ。」
中止などできない。
マリアンヌに誓ったのだから。
たとえこの身を危険に晒そうとも、引くわけにはいかない。
「……仰せのままに。」
主の決断に、マリアンヌは恭しく頭を垂れた。
「市外に配置されたトーチを全て住宅街に移動させるんだ。燐子は全て使って良いから、夜までには終わらせてくれ。今夜中に片をつけたい。」
「お任せください。ご主人様。」
一礼とともに、薄白い火の粉を舞わせて、マリアンヌは飛び去った。
それを見届け、フリアグネは再び『波璃壇』へと視線を落とす。
マリアンヌを見送った笑顔は一転して憎悪に歪み、
「許しはしないぞ…討滅の道具どもが…!!」
隠し切れぬ怨嗟とともに、そう吐き捨てた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
御崎市を隣町と繋ぐ幹線道路。
そこに複数の陽炎が揺らめいている。
歩道を歩く人々も、すぐ脇を通り過ぎていく車も、その存在に気づくことはない。
―――「阻止は失敗か?」
―――「は、既に『弔詞の詠み手』は市内に入ったようです。」
―――「やむをえん。」
―――「『都喰らい』の発動までの予想時刻は?」
―――「試算によれば87時間後となっております。しかし、トーチの配置状況によっては即発動もありうるとの事。」
―――「“狩人”次第というわけか。」
―――「迂闊には動けませんな。」
―――「こちらの進捗状況は?」
―――「市街外縁部の監視は排除しました。指示通り、封鎖は完了です。」
―――「後続の燐子が来た場合排除せよ。ただし…解っているな。」
―――「その件は承知しております。」
―――「定位置につき、別命あるまで待機だ。状況次第で突入もあり得る。」
―――「了解しました。」
幾つかの陽炎が突如揺らめき、火の粉を舞わせて消えた。