御崎高校に程近いマンション。
その一室を今、群青の炎が飲み込んでいた。
地に浮かび上がる奇怪な文様。
『封絶』ではない。
その証拠に、炎の中に立つ人間の男は、しっかりと意識を保っている。
自分の家が炎に包まれ、自身も火に囲まれているにも拘らず、男は取り乱した様子は無い。
「はぁ〜、すごいですね。どういう仕掛けです?」
どころか、感嘆の声をあげてさえいる。
その非常識なまでに泰然自若とした態度に、この状況を作り出した女は絶句していた。
「……あんた。これ見て驚かないって一体何者よ。」
2LDKの一室を指先一つで煉獄に変えてしまった女は、
左手でこめかみを押さえながら、右手をパタパタと振り、
その一挙動で、部屋を覆っていた炎を一瞬のうちに消し去った。
『なあ、前にフレイムヘイズと協力したことでもあるんじゃねえのか?』
女―――マージョリーは己が契約者たる“紅世の王”マルコシアスに言われて、言葉を失う。
一生涯の間に、複数のフレイムヘイズと関わりを持つ“一般人”など滅多にいない。
紅世の存在について説明しても、のらりくらりとした態度を崩さないので、てっきりこちらの言うことを信じていないのだと思い、
わざわざ本人の目の前で自在法まで使って見せたというのに。
だが、既にフレイムヘイズと関わりを持っていたというなら、この落ち着いた態度にも得心がいく。
「そうなの?」
マージョリーの問い掛けに、男―――相模はきょとんと首を傾げる。
「フレイム…ヘイズ?……それって、野焼きとか工場の煤煙で発生する公害じゃ「ないわよ!!」…はあ、なるほど。」
トンチンカンな答えを返してくる男に、マージョリーはがっくりと床にへたり込んだ。
“フレイムヘイズ屈指の殺し屋”『弔詞の詠み手』のひととなりを知る者が今の彼女を見たら、どんな感想を抱くだろうか?
「突き抜けた天然ってわけね……わかったわ……よくわかったわよ…」
この街にマトモな男は存在しないってことがね…
そう呟いて、マージョリーはどんよりとした目で、この部屋の家主を睨んだ。
灼眼のシャナ 存在なき探求者
第14話 不本意な晩餐
シャナは難しい表情で黙り込み、むーっと目の前のドンブリを睨んでいる。
やがてそこから顔を上げ、
「あれだけ啖呵きっておいて…ラーメン?」
「し、仕方ないだろう?材料無かったんだから…」
近所のスーパーで5食300円で売っている生麺タイプの中華そば。
熱湯で2分湯掻いて出来上がりという奴だ。
…これを料理といっていいものだろうか?
余程期待外れだったらしく、シャナは肩を震わせている。
目尻には涙。
いや、そこまで落ち込まれるとすごい罪悪感が…
「か、母さん、出てく前に冷蔵庫の中攫えていったんだよ。…日持ちのする物は兎も角。」
「…ま、まあラーメンだって十分美味しいですよ。」
響子がわざとらしいフォローを入れる。
が、彼女も不服であることは一目瞭然。
目に見えて落ち込んでいる。
「しょうがないだろ…外に材料買いに行くわけにもいかないんだから。」
2人のいじましい視線に耐えかねて視線を逸らす悠二。
肉も魚も無い。
麺以外で冷蔵庫にあったのはモヤシと高菜、後は中華スープの元やマヨネーズなどの調味料ばかり。
これで何を作れと?
「ま、まあ次に機会があったらマトモなもの作るよ。今日はそれで勘弁してくれ。」
「ぅ…べ、別にラーメンが嫌ってわけじゃないわ。」
頭を下げる悠二。
その、珍しく落ちこんだ様子にシャナは何故か慌てたようにフォローする。
「あ!ず、ずるいですよ!さっきまで自分も不服そうだったくせに、そうやって露骨な好感度up狙いの点数稼ぎを…」
「う、うるさいうるさいうるさい!!黙らないと討滅するわよ!!」
急に仲間割れを始めた二人は放っておいて、悠二はラーメンに口をつけた。
トッピングのモヤシと一緒に麺を啜る。
「うーん、せめてメンマがあればなぁ〜」
女2人がギャアギャア後ろで何か言ってる気がするが、あえて気にしない。
そんな悠二に、近頃とみに影が薄くなってきている『天壌の劫火』アラストールが話しかける。
『時に坂井悠二よ。『都喰らい』対策はどうなったのだ?』
「あ、アラストールいたんだ。」
『当たり前だ!!』
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
市街地と住宅地を結ぶ大鉄橋の袂。
周囲から頭一つ抜いて、高くそびえるデパートがある。
正確には元デパートで、今現在、営業しているのは地下街の一部となっている食品売り場だけ。
地上部分は親会社の事業撤退によって放棄されていた。
不況下で新たなテナントも入らず、徒に高いだけのビルは完全に空き家である。
もっとも、それは人間にとっての話。
闇の中。
今は無人となっているビルの最上階に1人の男が佇んでいる。
『宝具蒐集家』
『フレイムヘイズ殺し』
『狩人』
それら幾つもの二つ名をもって知られる“王”は茫洋とした視線を宙に注いでいる。
その先には純白の炎を燃やす篝火。
「在れ…」
囁くような声。
同時に炎が部屋中に溢れ出す。
やがてそれは幾つものヒトガタを形作り、窓を透過し、夜空へと駆け上がっていった。
「…これで打つべき手は打った…か。この国では…」
人事を尽くし天命を待つ、というのだったか。
そんなことを考えて、口の端を歪める。
彼の視線は手元にあるハンドベルに注がれていた。
「じゃあ行くよ…マリアンヌ。」
薄白い炎が彼を包み込み、それが消えたときには彼の姿は無かった。
―――――――――そして、夜が来る。