―――「トーチが移動を始めている?」
―――「は…現地からの報告では、市街地に配置されていたものが住宅街に向かって移動を始めたと…」
―――「施術範囲を狭めるつもりか?」
―――「恐らくな。此方の予定は全て狂うぞ?」
―――「しかしどうする、此方から戦力を送るにしろ時間が足りん。」
―――「彼の地には弔詞の詠み手がいたはずでは?」
―――「あの者が我らの指示に従うとでも?こちらの手駒を動かすほうが、より確実だ。」
―――「派遣部隊は?」
―――「『蒼』3個小隊、『藍』2小隊、『黄』2小隊……後続は…到着には今しばらくかかります。」
―――「クソ…手が足りんが…止む負えん。『黄』は封鎖を継続。『蒼』と『藍』には突入命令を。」
―――「!…囲いが崩れるぞ!?」
―――「こうなっては致し方あるまい。座して発動を待つよりは…」
―――「報告!」
―――「何事だ?」
―――「御崎市において“徒”…王クラスの反応を複数確認いたしました。」
―――「王だと!?」
―――「莫迦な…現地の部隊は何をしているのだ!?」
―――「封鎖はまだ続いている。突破されたという報告は上がっておらんぞ?」
―――「現地の指揮官によれば…市内に突然出現したと。」
―――「……『転移』か?」
―――「何れにせよ……こうなっては一刻の猶予も無い。」
―――「万一の場合…」
―――「仕方あるまい。中世とは状況がまるで違う。発動前に…何としてもあの街を…」
―――「……承知いたしました。」
灼眼のシャナ 存在なき探求者
第15話 戦端
闇に沈んだ街。
空を厚い雲が覆っている。月のない夜。
時刻は後一刻ほどで零時になろうとしている。
そんな中、市街地を夢遊病者のように闊歩する者たちがいた。
ある者は警備員の、
ある者はスーツを着て、
ある者は寝巻き姿のままで、
街の一角を徘徊する。
彼らが目指す場所は橋の向こう。
彼らを先導するように、異形のモノたちが街を闊歩する。
白い火の粉を吹き散らしながら。
街を練り歩く。
そう。
――――――――――――それは百鬼夜行――――――――――――
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
靴を履いて外に出ると、既にシャナが待っていた。
初めて会ったときのような黒いコートに身を包んでいる。
「おまたせ。」
「……これからどうするの?」
シャナが聞いてくる。
「地道にトーチを潰していくさ。……本当なら宝具で一気に片をつけるつもりだったけど。」
当初の予定では、教授の宝具を使って『都喰らい』の自在式を掻き乱すつもりだったのだけれど。
外来のフレイムヘイズ…『弔詞の詠み手』の出現で全てが狂った。
「派手に動いて、かの“殺し屋”に居場所を知られたんじゃ敵わないからね。」
「でも、それで間に合うの?」
『棺の織手』がオストローデを喰らったときに比べれば、トーチの数は少ない。
だが、いくら少ないとはいっても、その数は100や200では利かない。
2人がかりで消していったとして、間に合うのだろうか?
「まあ、大丈夫でしょ。余裕は殆ど無くなったけど、まだ発動するには3日くらいはかかるはずだし。
ある程度潰したところで『狩人』の方からやってくるさ。」
『ふむ……だが、奴が発動を早めることは考えられんのか?』
「ドミノを家に残す。もし、奴が発動しようとしたら…危険ではあるけど『惑いの鳥』で『都喰らい』の術式を妨害する。」
『惑いの鳥』は一度に複数の自在法を行使するための宝具だ。
もし弔詞の詠み手が来なければ、悠二は最初からこれを使うつもりだった。
街の全域で“封絶”を発動し、一気にトーチを消滅させるはずだったのだが…
そこで悠二は響子を見る。
「アレは起動したときの“歪み”がデカい。
使ったら十中八九、『弔詞の詠み手』に居場所がばれるだろう。
……でもって、間違いなくお前は討滅される。」
身も蓋も無い言い方に、響子の表情が絶望に染まる。
「そ、そんなぁ〜……」
「だから、使うときはその体でいるように。“本体”は家の外の車庫で休眠させておくんだ。」
本体を滅ぼされてしまっては、ドミノも消滅は免れないが、
依り代のトーチが殺られただけなら、助かる余地はある。
万一のときは、自身の本質を削ってでも助けてやるつもりだった。
とはいえ、危険であることに違いは無い。
「ま、これはあくまで最後の手段。……余程のことでもない限り、やる必要は無い。
…………………………………余程の事があればやってもらうけど。」
悠二の慰めに一瞬安心しかけた響子は、最後に悠二がぼそりと漏らした一言で再び絶望に突き落とされた。
「ゆ、悠二さんの馬鹿ぁあぁぁああ!!!!!」
わんわん泣きながら、家の中に駆け込んでいく響子。
「外道……」
シャナにジト目で睨まれた。
いや、なんかあのオーバーリアクションを見てるといじめたくなるんだよね。
吉田さんの守ってあげたいオーラとはまた一味違う、弄ってあげたいオーラとでも言うべきものを纏っているんだろう。
というかこの2人、いつの間に仲良くなったんだ?
考えていると、アラストールが話しかけてくる。
『それより、急がなくてよいのか?明日も学校に行くのだろうが。』
それもそうだ。
諸般の事情によって僕は学校を休むわけにはいかない。
理由は……察して欲しい。
腕時計を見ると、既に時刻は23時を回っている。
巡回に2時間。
帰って、風呂に入って寝る時間も考えると、いい加減出発しないと拙い。
「じゃあ、そろそろ出かけようか。区内を東から時計回りに行こう。」
「……いいわ。」
シャナが頷きを返し、二人は家を出た。
そこでは既に戦いが始まっていた。
住宅地の一角に轟音が響きわたる。
群青の炎が辺りを嘗め尽くし、それが静まったときには二人の男女が対峙していた。
彼らの周囲は、まるで爆撃にでも遭ったかのように破壊されつくしている。
『ヒャハッハハハハ!!!まさか“狩人”とはなあっ!!大物じゃねえか!』
耳障りな笑い声が街に響き渡る。
夜中、こんな住宅街のド真ん中で大声を上げれば、寝ている住民も飛び起きてくるだろう。
いや、これだけの破壊を撒き散らしたのだ。
この辺りに家を構えている住民が気づいても可笑しくは無い。
“常識的”に考えれば。
だが、彼らの存在に気づく“人間”はいない。
その理由は、彼らの足元に浮かび上がる文様のせいであった。
「フン…“当人”はどこに隠れてるんだか……うっとーしいったら無いわ。」
吐き捨てるように言う女。
欧州系特有の鼻筋の通った美貌を、薄化粧が彩っている。
巨大な本を片手に持ち、前方を見据えていた。
その顔には苛立ちが見て取れる。
この場にて対峙するのは、男と女。
男は高級感の漂う白いスーツを纏い、その手には淡い光を放つ水晶があった。
その虚無を湛えた表情は、真っ直ぐに女を見つめている。
「人形に構ってるほど暇じゃないのよ!」
叫び、群青の炎弾が放たれる。
放たれた火球は途中、幾重にも分裂し四方から押し包むように男に襲い掛かる。
「ベイラの守りよ…」
呟くような声とともに、男の周囲の空間が歪む。
女が放った火球は、その歪みに飲まれ掻き消えた。
「!?」
驚く暇も有らばこそ。
頭上から“何か”降ってくる気配を感じ、すばやくその場から飛び退る。
直後、今しがた己が放ったはずの群青色の炎が、一瞬前まで女が立っていた地点を直撃した。
蒼い爆風を撒き散らしながら、それは女の視界を遮った。
「チィッ、小賢しい真似を!」
ばさりと本を広げ、そこに書き込まれた不可思議な文様に手を翳す。
「マタイマルコルカヨハネ…四方より来たりて城門を閉ざせ!!」
言い終わると同時に、視界を覆っていた煙は吹き散らされ、辺り一面燃え盛っていた炎が、凄まじい勢いで女の体に吸い込まれていく。
引き寄せられた炎は女の体を包みこみ、徐々に一つの形を取り始める。
『オイオイオイ!油断しすぎじゃねえのかぁ?わが殺戮の美姫マージョリー・ドー!!』
「だぁっ!解ってるわよ、ったくこの街に来てから調子崩されっ放しよ!」
先ほどまで一緒にいた奇妙な人間のことを思い出す。
始終ボンヤリしていて、まるで掴みどころが無い。
数百年生きている自分が、あたかも手玉に取られているような気分にさせられた。
(ほんと……変な街ね。)
御崎市に着いてから約半日。
これがマージョリーの、この街に対する端的な感想だった。
相棒にブツクサ言いながらも、彼女は凄まじいスピードで自在法を紡ぐ。
ずんぐりした巨体に鋭い爪牙。
膨大な存在の力を秘めた歩く凶器がそこに現出する。
それはトーガ。
群青色の巨大な獣がそこにいた。
「とっとと死になさい!!」
鋭い牙を剥いて男目掛けて踊りかかる。
男は、とっさに両手を突き出し、白い炎を連続して放ってくるが、何れもトーガの守りを貫くには至らない。
一気に間合いを詰め、凶悪な爪が男を方からバッサリと切り裂いた。
「とった!」
致命傷を与えたという、確かな感覚。
それを裏付けるように、男の姿が急速に薄れ始めた。
「木偶の割には大したもんね……流石“フレイムヘイズ殺し”ってとこかしら。」
男はまだ完全に消滅してはいない。
故にトーガを解くことはせず、それでも倒したという確信を持って、彼女は周囲の破壊後を修復にかかろうとする。
そして修復の自在法を展開すべく、そちらに一瞬意識を向けたとき。
それまで虚無を湛えていた男の顔が嗤(わら)った。
「!?……こいつ!!」
直後、凄まじい爆風を撒き散らして、男の体は四散した。