薄白い炎を辺りに撒き散らして、男の姿が弾け飛んだ。
大爆発が起こり、轟音と共に路地を炎で埋め尽くす。
「くぅッ!?」
とっさに防御して後ろに下がり、地に伏せて正面から押し寄せてくる炎をやり過ごす。
やがて炎が治まり、マージョリーはゆっくりと身を起こした。
「やってくれたわね…あの野郎!」
ギリッ、と歯を軋らせる。
まさか自爆するとは予想外だった。
どんな自在法を使ったか知らないが、この自分でさえ発動するタイミングを見抜けなかったとは…
(あれは『燐子』?……確かに力は弱かったけど、宝具を使いこなす上に自爆もやるなんて。)
噂以上に手強い。
まさか、一手駒を相手にここまで梃子摺るとは思わなかった。
敵が予想を超えて強力なことに苦々しさを覚え、自身が纏うトーガを上から見下ろす。
体を庇った右腕は完全に吹き飛ばされており、他の部分もボロボロだった。
至近距離でまともに爆風を受けたのが不味かったのだろう。
周囲の“存在の力”を探り、敵がいないのを確認した上でトーガを解く。
相手の炎や爆風はトーガが殆ど防いでくれたが、それでも完全には防げなかったらしい。
服のあちこちが焼け焦げてブスブスいっており、自慢の栗色の髪も煤けてボサボサになっている。
「まったく、踏んだり蹴ったりね。」
愚痴を零しながらも、封絶内の事物を修復にかかった。
掌を口元に持っていき、フッと短く息を吹きかける。
その短い吐息は、見る間に群青の波と変じて周辺一帯を覆い隠し、
それが収まったときには砕かれた路面や削り取られた塀は戦闘前の状態に戻っていた。
ほぼ同時に封絶が解除され、時は動き始める。
『ッケ!やってくれるじゃねえか、あの人形フェチが!』
己が契約者たる“紅世の王”『蹂躙の爪牙』マルコシアスが悪態をつく。
燐子相手だと油断した自分も不味かった。
まあ、致命的というほどのダメージではないし、今後の教訓になったと考えることもできるが、それにしても高い授業料だ。
特に、トーガが損傷したのが痛い。
あれは“存在の力”を凝集し、己が鎧と化したものであり、
攻守一体の強力無比な武装である反面、損傷した場合は修復にかなりの力を使わねばならないのだ。
腕一本もがれたおかげで、たった一度の交戦でかなり消耗してしまった。
(次はもう少し慎重にやるか。)
頭の中で結論を出して、再び歩き出そうとしたその時。
「おや、マージョリーさん。一体どうしたんですその格好は?」
突然背後から声をかけられ、マージョリーは絶句した。
慌てて飛び退ると、そこには、つい半刻ほど前まで一緒にいた協力者の男が立っていた。
「!?……あんた、いつの間に。」
「いや、今しがた通りかかったところなんですけど。
何か考え事をされてるみたいでしたので、声をかけるのが悪い気がしましてね。」
のんびりとした調子で、そんなことを言うマイペース男・相模義留。
『俺は気づいてたぞ?』
「ならさっさと教えなさい!」
顔を真っ赤にして怒鳴る。
まったく、無様にも程がある。自在法に慣れてくると、敵の気配を探るのに“世界の歪み”そのものを走査する癖がついてしまう。
これは要するに、“徒”という世界の異物がそこに存在することによって発生する違和感を感知するというもので、
“徒”を探し当てる方法としてはかなり有効なやり方なのだが、対人用としては殆ど役に立たない。
とはいえ、ここまで接近されるまで気づかなかったのは弛み過ぎだろう。
そんなことをマージョリーが考えているとは露知らず、相模はマージョリーの姿をまじまじと見る。
「なによ?」
「いえ、その格好は……」
言われてみて、はたと気づく。
“狩人”の人形との戦闘でボロボロになった服。
ボサボサに乱れた髪。
相模からすれば、別れてから30分の間に一体何があったのか?という気になるのも無理ないかもしれない。
服や髪の事について説明しようと、マージョリーが口を開きかけた時。
「………ああ、なるほど。」
解った、とばかりに相模は両手をポンと叩く。
マージョリーの目に一瞬、相模の頭上で豆電球が瞬いたような錯覚を覚えた。
ピッと人差し指を立てて、自信満々に宣言する。
「イメチェンですね!?」
『「な訳あるか!!!」』
マージョリーとマルコシアスの怒声が綺麗にハモッた。
灼眼のシャナ 存在なき探求者
第16話 捕食
市街地の路地裏。
半径50メートル程の水色のドームが辺り一面を覆っていた。
だが暫くすると、その色は薄白く変色し、やがてそれも消えた。
コツ、コツ、コツ、コツ……
やがて足音を響かせて、路地裏からは白いスーツを纏った男が出てきた。
その右手には、装飾が施されたリボルバー式の拳銃が握られている。
そして左手には、淡い光を放つ水の入った小瓶。
男―――フリアグネは、その小瓶を愛おしげに眺める。
「ふふ、“王”3体分か……街一つ平らげる前の“前菜”としては充分かな…」
満足げに呟き、先程まで戦場となっていた路地裏を振り返った。
そこは既に廃墟と化していた。
道路脇の看板や標識は、高熱によって半ば溶解し、爆風によって吹き飛ばされた看板や、割れたガラスが辺りに散乱している。
特に目立つのは、道路に穿たれた3つのクレーターだろう。
そこを中心に、辺り一面は根こそぎ吹き飛ばされ、更地になっている。
戦いの痕。
少しでも“存在の力”が惜しいフリアグネは、この場を修復するつもりは無かった。
「それにしても……集団戦法を使うフレイムヘイズとは珍しい。極東では、こういう戦い方が主流なのかな?」
先ほど戦った“討滅の道具”達。
彼らはフリアグネに対して集団で襲い掛かってきた。
『アズュール』と『トリガーハッピー』のお陰でそれほど苦戦はしなかったが。
これまで主に欧州を中心に活動してきたフリアグネにとって、フレイムヘイズとは己の力のみを恃む一匹狼たちであり、
このような“頭のいい”“軍隊のような”戦い方をする連中ではなかったのだ。
個々人の実力に特筆すべきところは無かったものの、攻・守・支援を分担した集団戦法は、
一対一の戦いに慣れた“徒”には充分脅威となるものであり、フリアグネの頭に警鐘を鳴らしていた。
さらに…
(奴らは無線を使っていた。……他にも仲間がいるという事か。)
この場に長居するのは危険。
そう考えたフリアグネは、今しがた使った拳銃を懐に戻し、立ち去ろうとして、そこで突然、弾かれたように背後を振り返る。
突然、総身を駆け抜けたそれは悪寒にも似た感覚。
自身を構成する本質。
その幾分かが、ごっそりと消えてなくなった。
その感覚の原因を、彼は理解していた。
「人形1体…始末されたか。……相当な手練だな。」
賛嘆と忌々しさを交えた呟き。
街中に放った人形のうち一体、それが討滅されたのだ。
対フレイムヘイズ用に調整したとはいえ、練達の“討ち手”には抗し得なかったのだろう。
いくら形を取り繕っても、宝具の力を借りようとも、
プログラムされた戦闘スキルでは“腕利き”と呼ばれるような“討ち手”に対抗することは難しい。
だが……
「だが、並の“討ち手”であれば十分通用するレベルだ。……ふむ、雑兵の始末には使えるかな。」
先ほど始末した“討滅の道具”の仲間がまだ何処かにいるはずだ。
街を包囲し、此方の監視の目を潰していった手際といい、“敵”は明らかに組織立って行動している。
「…まあ、いい。」
仲間がいるのなら、彼らもまた我が身の糧としてやるまで…
そう呟き、フリアグネは小瓶に入っていた液体を一気に呷った。
液体を嚥下してまもなく、喪われた己の力が、本質たる存在の力が補完されていくのを感じる。
「人間に手を貸す愚かな王達よ……君らの“力”…私が有効に使わせてもらうよ。」
哄笑と共に、フリアグネは空に舞った。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
夜の帳が落ちた街の中。
暗緑色の、軍服にも似た装束を纏った一団が街道を疾駆する。
彼らが目指す先。
それは都市部とベッドタウンを結ぶ大鉄橋。
目的地に着くと同時に、男達は辺りに散っていく。
その中で、指揮官と思しき男が声を張り上げる。
「状況知らせ!」
「『封絶』の展開完了。半径500m、周辺区域の封鎖完了致しました。」
「『蒼』は既に橋梁出口に展開を完了しました。東側から突入した2個小隊については5分後の到着予定ですが……
偵察班が2個、通信途絶しております。」
部下の報告を受けて、男は微かに眉を顰める。
「やられたか……止む負えん。現状の戦力で始めるしかあるまい。『藍』は未だ着かんのか?」
「……今、到着したところだ。」
後ろから声が聞こえ、振り返る。
「遅かったな。」
「すまん、『狩人』ご自慢の燐子に梃子摺ってな。
それに先ほど、“探耽究求”殿に部下を迎えに寄越したところだ。」
ほう、と蒼の指揮官は目を眇める。
「ああ、黒尚殿が言っておられた“坊ちゃん”か…早いところ迎えに行ったほうがいい。」
面白がるように口元を歪める。
と、その時。
「失礼します。自在師の配置が完了しました。」
その報告に2人は頷いた。
「よし、『蒼』出陣。一匹たりとも住宅街に入れるな!」
「『藍』総員で防壁を展開。川を渡ろうとするモノは全て迎え撃て!」
命令が発せられて間も無く。
橋の反対側からは立て続けに爆炎が巻き起こり、トーチが、燐子が弾けた。