悠二は自室の窓から空を見上げていた。
黒服連中にお引取り願い、帰宅したときには時刻は午前二時を回っていた。
夜が明けるには早すぎる時間だが、空はうっすらと白んでいる。
そして身に纏わりつくような違和感。
それらの事象について考えを巡らせながら、悠二はカーテンを閉めた。
「とりあえず、今日はここまでが限界かな」
勉強机に備え付けられたアームチェアに腰掛け、言った。
「解らないことが多すぎる。なんか僕も調子悪いし…」
―――――全部、あの炎を見てからだ。
「何だったんだ?あれは…」
幾つもの疑問が頭の中を渦巻く中、悠二は立ち上がり、しばらく室内をうろうろ歩き回ってからベッドに倒れこんだ。
「あの銀色の炎を見て……それからの記憶が途切れてる。なんで?」
『さぁーーて、特に自在法が行使されたような形跡はあぁりませんが』
「目を覚ましたら“力”を7割近くもっていかれてるし……おまけに狩人が消えた?」
思考の海にドップリ浸かりながら、悠二はひたすら唸っていた。
灼眼のシャナ 存在なき探求者
第21話 不穏
御崎市の某マンション。
無言でドアノブを捻ると、鍵はかかっていなかったらしく、扉はすんなりと開いた。
マージョリーは澱みきった目で居間に歩いていき、ソファにものも言わずに寝転がった。
「おや、戻ってきてたんですかマージョリーさん。」
ひょこりと別のドアから顔だけ出して相模義留は言った。
『よぉ旦那。今この女に話しかけねえ方がいいぜ!下手に刺激すると食い殺されかねねえからなぁ!』
「はあ。」
マルコシアスの忠告に、相模は理解したのか理解できなかったのか、いまいち判別のつかない返事を返して頭を引っ込めた。
暫くすると、湯気の立つマグカップをトレイに乗せて戻ってきた。
黒く芳ばしい香りのする液体がなみなみと注がれている。
なにも言わずにマージョリーの前に置く。
「何のつもり?」
剣呑な視線のひと睨みをくれるが、相模はいつもの何を考えているかわからない笑顔で、砂糖やらミルクが入った容器をコトリと置く。
「いえ、まあ一杯どうぞ。少しは気分が落ち着きますよ」
そう言って、なにも聞かずに部屋を出て行こうとする相模に、マルコシアスは感謝した。
マージョリーはというと、虚ろな視線をマグカップに向けたまま黙りこくっている。
しばらく躊躇うような間があった後、カップを手に取り、口に運ぶ。
『すまねえな。』
黙ったままの相棒に代わってマルコシアスが礼を言うと、相模は一度だけ振り返った。
「いえ。女性には…時折そういう日があるものですからね」
さわやかな笑顔を残して相模は立ち去るのを、マルコシアスは唖然として見つめていた。
(いや、おめえ……マジに言ってんのか?)
恐る恐るマージョリーのほうに意識を向けると、彼女はマグカップを持ったままぶるぶる震えている。
その額にはくっきりと青筋が浮かんでいた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
「住居のほうですが、宜しかったのですか?」
車のドアを開けたところで動きを止め、男は後ろに立つ気配に向かって言った。
「まあ悠二さんのお願いですからね。明日には千草様も帰ってきますし…できれば家の近くだと良いんですけど」
そこにいたのは響子だった。
少し残念そうな様子で彼女は答えた。
「手配しておきます。そちらは貴方一人で?」
「いえ、シャナさ…『炎髪灼眼』の方も一緒ですから出来れば余裕を見た物件をお願いしますよ。」
少し考えるような素振りを見せてから、響子は答えた。
「それと、何か解ったら連絡を。出来れば悠二さんか私の携帯にお願いします。」
「承りました。」
一礼して、黒服の男たちは車に乗り込み、走り去っていった。
車が通りの角を曲がって姿を消すのを見届けると、響子は家の門を閉め、施錠した。
そのまま家に入ろうとして、ふと、彼女は立ち止まった。
「一体、何が……起きてるんでしょうか」
響子は不自然なまでに白んでいる夜空を不安げに見上げ、呟いた。
◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆ ◆
ズルッ……
ズルッ……
塀に身を預け、よろめくようにして男は彷徨っていた。
「ヒュゥ……カァハ、ァ……ッ……」
空気が肺から直接抜けていくような、酷く耳障りな呼吸音が口をついて出る。
「カフッ…ゴフッッ……カ、アァッッァ……ッ……」
ビチャッ、ポタポタ―――
口から大量の血が吐き出され、地に落ちる前に白い火の粉となって消えた。
身体の輪郭がところどころ崩れ、人の形を保つことさえ難しくなりつつある中、
ともすれば地に崩れ落ちそうになりながら、男は虚ろな瞳で歩き続けていた。
――――――――――そして。
――――――――――夜が明ける。